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奈良県大和郡山市 稗田

Hieda,Yamatokoriyama City,Nara

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January 31, 2026 野崎順次 source movie

奈良県大和郡山市稗田町
稗田環濠

市指定文化財

環濠集落とは、敵からの攻撃などから守るために周囲に堀をめぐらせた集落のことです。環濠は、こうした集落の防御のため設けられたとされますが、環濠の機能はそれ以外にも洪水の防止、灌漑、排水などと多岐にわたります。中世以降の奈良盆地には、かつて200前後の環濠集落が存在し、稗田は現存する環濠集落の代表格です。
(帝塚山大学文学部日本文化学科学外授業 2014.08.28.)

 

集落南西端を環濠沿いに回る。

           

稗田堀橋を渡り、東へ、賣太神社の方へ

            

賣太神社、主祭神は「古事記の語り部」稗田阿礼

                                 

東の環濠を北へ

         

鬼門落とし
集落の北東にまわり、鬼門から病気などの邪気を集落内に侵入させないため、北東隅の環濠を多折れに屈曲させていること、すなわち「鬼門落とし」の風水思想が稗田集落に取り入れられており、集落内部は邪気の侵入からも心理的に守られた空間になっていることを確認しました。
(帝塚山大学文学部日本文化学科学外授業 2014.08.28.)

        

集落から離れて北へ

    

稗田の北端にまわり、佐保川に対する従前よりの堤防であった請堤の跡を確認しました。環濠集落は、請堤との組み合わせで15世紀以降の奈良盆地の地表上に登場した可能性があり、稗田の環濠は、防衛機能はもとより、洪水時には排水処理機能、平常時には生活用水機能というように、多義的な機能を有していたと考えられます。
(帝塚山大学文学部日本文化学科学外授業 2014.08.28.)

    

元に戻る。

   

北西から西にかけての環濠が美しい景観を作っている。

                    

稗田堀橋に戻って、集落内の路地から路地をたどる。

                               


Aug.2012 中山辰夫

稗田環濠集落(ひだかんごうしゅうらく)と賣太神社(めたじんじゃ)

大和郡山市稗田町310

稗田環濠集落

郡山市指定文化財

JR郡山駅から佐保川の堤防の上を南進する。

    

佐保川の流れの下にはかつて羅城門があり、北には広大な平城京が広がっていた。朱雀門と羅城門を結ぶ道が下ツ道である。

   

郡界橋の西のたもとには「きこく地蔵」の祠があります。「きこく」とは「枳(からたち)」のことで、戦時中には「きこく」と

「帰国」をかけてお参りに来る人がいたときく。

   

郡界橋を過ぎると川はやがてゆるやかに蛇行し、左岸(東岸)に広がるのは、中世の村落の名残を

残す稗田環濠集落。

集落には『古事記』の読誦で知られる稗田阿礼(ひえだのあれ)を主祭神とする売太神社(めたじんじゃ)

が鎮座している。

    

稗田環濠集落

稗田環濠は、大和の環濠の代表例として有名であり、教科書などにもよく記述されており、室町時代には現在のような形に

なっていたとされる。

写真は真上からみた航空写真で、環濠の形態がよくわかる。

  

東西約260メートル、南北約260メートルの規模で、北東側は七曲りよばれる特異な形をしており、西側と南側はとくに

幅広くつくられている。内部を見ると、東西、南北に大きな道が通り、そこからさらに細い道がのびている。

道はT字形に交差したり、袋小路になっていて、遠くが見通せないようになっている。これは防御に適した構造になっている。

             

大きな森は賣太神社<めたじんじゃ>で、神社を中心として環濠が発達したようすを示しているが、このような様相は他の環濠

でもみられる。

    

(環濠集落については、Wikipediaが詳しい)

賣太神社

主斎神: 稗田阿礼命 副斎神: 猿田彦命 天鈿女命

社殿は深い森の中に鎮座する。

    

かたりべの碑

  

古代大族であった稗田猿女君の邸があった場所と伝えられている。

猿女君の遠祖は天鈿女命であり、稗田阿礼命もその一族。

稗田阿礼命は、天武天皇の命により帝紀・旧辞を暗唱し、和同四年、太安麻呂がこれを記述して『古事記』となったのは有名。

猿女君の養田を、猿女田といい、祖神の鎮まる神社を猿女田神社と称したが女田神社と略称され、賣太神社へ

変化したとされる。

古事記 1,300年紀

大和郡山市では、1300年の時空が流れた今、阿礼が語った物語を語り継ぐため、また現代人が忘れかけている何かを後世に伝えるため

そして新たな物語りを産みだすため、2012年を「古事記1,300年紀」とし、市民参加のもと、阿礼生誕の地から「語り部の里 大和郡山」を

全国に発信するようだ。その中心が賣太神社である。

由緒

  

古事記の原本は・・・

古事記は、和銅5年(712年)、元明天皇の命で稗田阿礼の語ることを太安万呂が撰録し献上した、日本最古の歴史書です。

全3巻で、天地ができるころから、推古天皇の時代までを、神話や伝説を織り交ぜながら記述しています。

本文は和文的漢文体ですが、漢文では表記しづらい固有名詞等は漢字1字1音表記で表しています。

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(原文) 時有舍人。姓稗田名阿禮。年是廿八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。

(読み下し) 時に舎人あり。姓は稗田、名は阿礼、年はこれ二十八。人となり聡明にして、目にわたれば口に誦み、耳にふるれば心にしるす。

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(原文) 伊邪那岐命 伊邪那美命

(読み下し) いざなぎのみこと いざなみのみこと

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編纂(へんさん)当時の原本は、残念ながら現存しませんが、その写本はいくつか伝わっています。

古事記真福寺本複製(賣太神社所蔵)

 

1371年から1372年に書写された「真福寺本」は、最古の写本として貴重で、国宝に指定され、

愛知県の真福寺宝生院(大須観音)に所蔵されています。

次に古いとされる1381年に写された「道果本」(上巻前半のみ・重要文化財)は天理図書館(天理市)に

また、本居宣長による「訂正古訓古事記」の刊本(1870年)が県立図書情報館に所蔵されています。

参考資料≪郡山市HP,配布パンフレット、他≫


Apr.2004 瀧山幸伸 source movie

番条

  

 

稗田

  

 

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