奈良県大和郡山市 松尾寺
Matsuodera,Yamatokoriyama city,Nara
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大和郡山市山田町683 松尾寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 建武4(1337) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺 19020731
Sep.27,2016 中山辰夫
奈良県大和郡山市山田町683
参詣交通略図
参詣の目的は、宝蔵殿で公開中の千手観音像トルソー(秘仏/奈良時代8世紀)に出合うことであった。
松尾寺の山号は松尾山または補陀落山 日本最古の厄除寺 矢田丘陵の南端近くにある松尾山の中腹に位置する山寺である。
天武天皇の皇子・舎人親王が718(養老2)年に42歳の厄除けと「日本書紀」編纂の完成を祈願して建立したと伝わる。
境内地約3万坪中に30有余の建物がある。その他昔のお花畑を復元したバラ園がある。松尾山を中心に松尾丘陵一帯は自然公園に指定されている。
2〜3月の初午の日の縁日には多くの参詣者で賑わう。バラの名所でもある。
宗派:真言宗醍醐派 本尊:千手観音 創建:伝・718(養老2年) 開基:伝・舎人親王:
矢田寺から松尾寺まで約4㎞を歩く。近畿自然歩道で整備されている。
途中にある国見第展望台
到着
北惣門より入る。百八つの石段を上ると本堂。 北惣門は一間の薬医門
石段の登り口にある、自然湧水が出る霊泉と閼伽井屋
本堂と周辺 本堂は国重要文化財
五間四方入母屋造
1237(建武4年・延元2)年に再建された中世の大型仏堂の貴重な遺構で、和様を基調とした比較的簡素な建築意匠ではあるが、大仏様の様式も取りいれられ、新和様と呼ばれる。1277(建治3)年に焼失した後、1337(建武4)年に再建されたものであり、本尊の千手観音立像は鎌倉時代の作である
三重塔
寺伝によると835(承和2)年創建。明治の再建説もある。鬼瓦に1713(正徳3)年の銘もあり、旧材も使われている。
本堂などのある中心伽藍より一段高い位置にたつ。現在の塔は1888(明治21)年の再建で、一部に古材が使用されている。
神霊石の大岩
窟も見られる大岩
護摩壇
毎年2月の初午厄除大祭、3月の初午厄除祭と9月第1日曜日には、この護摩壇で修験道の法流により、厄除開運、交通安全、家内安全、諸願成就を祈り、柴燈大護摩が奉修される。
鐘楼(やくよけの鐘)と手水舎
福寿院・他の諸堂が集まっている
行者堂 日本で最大の役行者像を祀る
阿弥陀堂と七福神堂
阿弥陀堂は入母屋造、本瓦葺で江戸中期頃の建立 七福神堂には最古型の大黒天(国重文)・他を祀る。
松尾山神社への参道
春日造、桧皮葺の三社殿が並ぶ。拝殿と神楽殿が建つ。松尾山の 山頂近くに位置する。
神社境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦や建物 跡が検出されており、当寺が奈良時代の創建であることは間違いないとされる。
本坊から南惣門へ
結構な数の石段をおりる
南惣門
法隆寺からの参道に建つ門。本瓦葺、総檜皮の豪華な四脚門。1862(文久2)年に興福寺一条院宮により造られたとされる。
蟇股の代わりの彫刻と飛貫の間に風神雷神の浮き彫り彫刻が向かい合わせに入り、「雷門」とも呼ばれる。
宝蔵院
南惣門の傍にある。普段は非公開である。多くの寺宝が安置・展示されている。 (撮影禁止)
千手観音像トルソー(秘仏/奈良時代8世紀)
本堂修理中の1953(昭和28)年、屋根裏から焼損した仏像の残欠が発見され、これは1277(建治3)年の火災以前に祀られていた旧本尊像ではないかと推定されている。
焼損仏像は、総高188cm。当初は240cmほどあっただろうと推定される一木彫成像。
胸部のくびれた形姿や、胸を後ろに引き腹部を前に突き出す弓なりの側面観によって、菩薩形立像だったとされる。
白州正子が『『十一面観音巡礼』(講談社文芸文庫)で絶賛して広く知られるようになった。
公開日が限定されている。機会を捕まえるのは難しいが、必見である。
帰りは法隆寺まで、約3.7Km歩く。途中で見た稲田
所在地 奈良県大和郡山市山田町683
松尾寺は大和郡山市西部、矢田丘陵の松尾山(まつのおさん)に位置しています。
寺名は「まつおでら」ですが、かつては「まつのおじ」と呼ばれ、指定名称も「まつのおじ」になっています。
本堂(重要文化財)
建武4(1337)年の建築
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
境内
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