奈良県大和郡山市 奈良県立民俗博物館
Nara Prefectural Folk Museum, Yamatokoriyama City, Nara
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大和郡山市矢田町545大和民俗公園 旧臼井家住宅(旧所在 奈良県高市郡高取町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸中期 元禄(1688-1703)頃 桁行17.6m、梁間7.0m、切妻造、茅葺、南面及び北面庇付、本瓦葺北面便所及び渡廊下附属、桟瓦葺 19740521
大和郡山市矢田町545大和民俗公園 旧臼井家住宅(旧所在 奈良県高市郡高取町) 内蔵 重文 近世以前/民家 江戸中期 江戸中期 土蔵造、桁行4.8m、梁間3.8m、二階建、切妻造、本瓦葺 19740521
大和郡山市矢田町545大和民俗公園 旧岩本家住宅(旧所在 奈良県宇陀郡室生村) 重文 近世以前/民家 江戸末期 嘉永(1848-1854)頃 桁行13.9m、梁間11.7m、入母屋造、茅葺 19790521
October 27,2013 大野木康夫 source movie
大和民俗公園
所在地 奈良県大和郡山市矢田町545
大和民俗公園は大和郡山市西部の矢田丘陵の一角に位置し、広さは26.6ヘクタール、公園内に県内各地の民家を移築展示しています。
町家集落
旧鹿沼家住宅(県指定文化財)
旧所在地:大和郡山市永和町
文化9(1812)年建築の町家です。
旧臼井家住宅(重要文化財)
旧所在地:高市郡高取町上土佐
18世紀ごろの建築とみられています。
主屋
元禄年間(1688-1703)年頃の建築
桁行17.6m、梁間7.0m、切妻造、茅葺、南面及び北面庇付、本瓦葺
北面便所及び渡廊下附属、桟瓦葺
内蔵
江戸中期の建築
土蔵造、桁行4.8m、梁間3.8m、二階建、切妻造、本瓦葺
国中集落
旧吉川家住宅(県指定文化財)
旧所在:橿原市中町
元禄16(1703)年頃の建築
旧西川家土蔵
旧所在:天理市二階堂北菅田町
幕末ごろの建築とみられています。
旧赤土家離座敷(県指定文化財)
旧所在:香芝市狐井
旧萩原家住宅(県指定文化財)
旧所在:桜井市下
18世紀初期の建築とみられています。
宇陀・東山集落
旧八重川家住宅(県指定文化財)
旧所在:奈良市都祁町針
19世紀前半頃の建築
旧岩本家住宅(重要文化財)
旧所在:宇陀市室生区黒岩
嘉永(1848-1854)頃の建築
桁行13.9m、梁間11.7m、入母屋造、茅葺
旧松井家住宅(県指定文化財)
旧所在:宇陀市室生区上笠間
文政13(1830)年頃の建築
吉野集落
旧前坊家住宅(県指定文化財)
旧所在:吉野郡吉野町吉野山
旧木村家住宅(県指定文化財)
旧所在:吉野郡十津川村大字旭字迫
Aug.2012 中山辰夫
≪参考≫
奈良県立民俗博物館
大和郡山市矢田町545
1974年(昭和49年)に開館。
奈良(大和)に暮らす人々が、その風土の中で育み、改良工夫をかさねながら維持してきた生活用具など民具の数々
約四万二千点を収集し、これらを保存、展示公開する博物館。
多くの古民家の展示がある。
(以下の写真は奈良新聞・やまとおの建築詩より引用)
旧臼井家
国重要文化財
建築年代は明らかではないが、構造手法などから18世紀前期の建築と見られる。
町奉行支配下の半商半農的な町であった高取藩植村家2万5000石の城下町、高取町上土佐(旧土佐町)
にあった町家。
旧鹿沼家
県重要文化財
鹿沼家はもと、大和高田市永和町にあった。この地は旧横大路(長谷街道)と下街道の交差する交通の要地で
宿場や商業で栄えた地域だった。同家は旧横大路北側で代々米屋を営んでいた。
建物の建築年代は「請取普請状(うけとりふしんじょう)」から文化9(1812)年の建築と判断されている。
旧萩原家
県重要文化財
吉川家
入り母屋造りの茅葺(かやぶき)屋根で周囲には本瓦葺きの庇(ひさし)がつく農家。
入り口の右手は土間で表隅には中二階付きの機(はた)部屋が設けられている。
左手の居室部分は下手二室の間仕切り位置を半間表側にした食違い四間取りで、広間型三間取りから
発展した平面形式と考えられている。
松井家
大きな茅葺(かやぶき)きの屋根。
玄関から入ると冷房が効いているのではないか、と思うようなひんやりとした空気が漂う。
大きな屋根はそのまま断熱材に、開け放たれた障子や入り口からは風が自由に通り抜ける。
現代の密閉された住宅とは明らかに違う「家」は日本古来の知恵と言える。
岩本家
八重川家
奈良県大和郡山市矢田町545
江戸時代の民家
(Old Private Houses of Edo Era of Nara Prefectural Folk Museum, Yamatokoriyama City, Nara)
撮影日: 2012年1月21日
奈良良県立民俗博物館(ならみんぱく)は、1974年(昭和49年)に開館。奈良(大和)に暮らす人々が、その風土の中で育み、改良工夫をかさねながら維持してきた生活用具など民具の数々約四万二千点を収集し、これらを保存、展示公開する博物館。大和民俗公園は、26.6 haの広大な敷地を有し、自然との共生の場「里山」を活かしつつ「みんぱく梅林」「みんぱくしょうぶ園」ほか、四季折々の草花や、森林浴を楽しめるよう整備されている。昔懐かしい江戸時代の民家15棟が「町屋」「国中(奈良盆地)」「宇陀・東山」「吉野」の4ブロックに分けて移築復原されており、自由に見学できる。
正面入口説明板とパンフレット
町屋集落
国重要文化財 旧臼井家住宅 18世紀前半
もと高市郡高取町に所在。代々伊勢屋と号し、酒・醤油の販売を営み、大年寄りや高取藩の公用伝馬<こうようてんま>の役も勤めていたとされる。解体前には主屋、離れ座敷、内蔵、高蔵、米蔵、道具蔵などで構成されていたが、そのうち主屋と内蔵が移築されている。主屋は桁行18メートル、梁間7メートル、屋根は切妻造茅葺で、内部は「しもみせ」、「なかのま」、「おくざしき」などに間取りされています。農家風の町屋建築であり、屋根も草葺とする事例は珍しい。
県指定有形文化財 旧鹿沼家住宅 19世紀前半
もと大和高田市永和町に所在。旧伊勢街道に南面して主屋を構え、代々米屋を営んでいたと伝えられている。文化9年(1812)の「請取普請状」が残されており、その直後の建築であることがわかる。桁行9.2メートル、梁間8.6メートルの切妻造り二階建てで、屋根は桟瓦葺き、表の角太格子、二階の出格子、両端の袖壁などに町屋建築の特徴がよくあらわれている。内部は左半分を居室とし、長四畳四間取りとし背後に仏間を設けている。右半分は通り土間で、しもみせを設け、奥にかまどを築く。
国中集落
県指定文化財 旧吉川家住宅 18世紀初頭
橿原市中町(旧中村)は、国中の特徴的な農村集落の一村で、この村の西端に当家があった。国中の代表的な屋敷構えは、中央に南面して主屋を建て、表か裏かに物干し場をとる。表側には長屋門を構え、この門の両端から奥へ、コの宇形に納屋・稲小屋・米蔵・内蔵離座敷などの建物で取り囲むのが、いわゆる囲造りである。当家もこの囲造りで、物干し場は主屋裏にあった。主屋は間口6間半、奥行約4間、入母屋造の萱葺で、この周囲に本瓦葺きの庇が付く。平面の右手は土間とし、この表隅に中二階つきの機部屋を設けている。この裏側はカマド・唐臼・流しなどを備えて釜屋となっている。左手の居室は4室で、下手2室の間仕切り位置は、半間表側にあって、食違四間取りである。
旧西川家土蔵 19世紀中頃
もと天理市二階堂北菅田町にあった農家の土蔵。西川家は奈良〜橿原を結ぶ旧街道(中街道)に面して建てられ、江戸時代には「庄屋彦兵衛」と呼ばれ、この地の庄屋を務めた。この土蔵は当家では高蔵と呼ばれ、衣類・食器などを収納していた。構造は重要文化財旧臼井家住宅の内蔵と類似する。間口2間(3・94m)・奥行1間半(2・98m)、2階の切妻造で屋根は本瓦葺き、外壁は大壁白漆喰塗り、内壁は貫外面での中塗り仕上げ、小屋組は棟木・母屋・桁とも丸人材で、屋根裏の構造を見せる化粧屋根裏としている。
旧赤土家離座敷 18世紀初頭
もと香芝市狐井の赤土家に在った。当家は系図によると、楠木氏を祖とする農家で、庄屋を務めたと伝えられる。この建物は見たところ小規模だが均整の良く取れた姿をしている。内部は8畳1室で本床を備えた構成は素晴らしい。なお、8畳1室と本床部分は18世紀初期以前の建築のようだが屋根や庇は後世に整えたようである。
県指定文化財 旧萩原家住宅 18世紀初頭
もと桜井市下(旧下村)に所在していた農家で、組頭を務めたそうだ。建築年代については不確かだが、構造手法からみて18世紀初期の建築とみられる。下村は昔、宿場で栄えた桜井から、南方へ約2Km離れ、多武峰に向う街道に沿った村落。萩原家はこの村の北部にあって、西丘陵の中腹に屋敷を構え、主屋は奈良盆地を望むところに、南向きに建てられていた。この主屋で間口6間、奥行4間、入母屋造の茅葺きで、左側面を葺きおろし、背面には庇を付け本瓦で葺く。一方、内部の右手は土間とし、正面隅にIツシニ階付きの馬屋を設けている。また、この裏側は釜屋としている。左手の居室は、整形4間取りで、上手室の表裏境には仏壇・床・物入れを備えている。
宇陀・東山集落
旧八重川家住宅母屋一棟 19世紀初頭
もと都祁村針(現在の奈良市針)の旧都祁村役場の近くで、旧街道に面した平坦地の一段高い敷地に建てられていた。桁行11メートル、梁間8メートル、寄棟造、茅葺。間取りは右半が土間、左半が床上部で、土間の割合が大きくなっている。土間の前には「まや」を配し、背面側を釜屋としている。床上部は二間取りで、「ざしき」、「なかのま」と続き、両間の境には置仏壇を設置する。
国重要文化財 旧岩本家住宅 19世紀前半 source movie
旧宇陀郡室生村大字黒岩に所在していた農家で、庄屋を勤めていた と伝えられる。桁行13.9m、梁間11.7m、入母屋造、茅葺の大型の農家で、素朴な外観を呈する。間取りは向かって左半分を土間とし、正面側に馬屋、背面側にかまやを配する。右半は居室6間取りとしている。この住宅の見どころは、土間の上の太い梁組や差物などの構造である。また、小屋組は竪穴式住居をそのまま上にあげた形とみることができ、組方もわら縄を用いている。
旧松井家住宅 19世紀前半
もと室生村上笠間に所在。主屋は桁行11.2メートル、梁間8.6メートル、入母屋造、茅葺で、文政13年(1830)の年記のある銘札が見つかっている。間取りは右半が土間、左半が床上部となり、土間の正面に「まや」、その背後に釜屋を設け、「まや」の右手に風呂場をつくります。床上部は「くちのま」、「おくのま」、「なかのま」、「なんど」にわかれる。床上部は桁行に喰い違う四間取りで、前座敷型三間取りの発展形式と考えられている。
吉野集落
旧前坊家住宅 主屋、渡り廊下および離座敷 19世紀中頃
もと吉野町吉野山門前町の参道沿いに所在。前坊家は代々、吉野水分神社の神官を勤めたと伝えられている。屋敷構えは、主屋を道路に面して建て、後方に離れ座敷を配し、この間を渡廊下で接続している。主屋は桁行13.9メートル、梁間9.3メートル、切妻造、一部二階建、杉皮葺の構造である。参道が尾根筋に当たるため、敷地後方に行くにつれて建物の床高が高くなる「吉野建」(懸造)の形態をとる。
県指定文化財 旧木村家住宅 主屋 文政4年(1821)納屋と表門 19世紀中頃
もと吉野郡十津川村に所在。屋敷は狭い谷間の山腹を削って作られ、主屋をはじめ表門、納屋、物置の付属屋から構成される。桁行12.5メートル、梁間7.3メートルの切妻平入の構造で、屋根は杉皮葺。内部は「だいどころ」、「でい」、「なんど」、「ひろえん」などに分かれている。
参考資料
現地説明板
やまと建築詩HP
橿原市HP
大和郡山市HP
Jan.2012 酒井英樹
旧臼井家住宅
Kyu Usuike
撮影:2008年9月
臼井家住宅のあった奈良県高取町は奈良盆地の東南端に位置し、近世の山城として知られる高取城の城下町にあった。城下町は半商半農的な町場が形作られた。
臼井家は高取城の大手に通じる街道に面した屋敷を構え、公用伝馬役を任された傍ら酒・醤油を扱う有力商人の家であった。
昭和51年奈良県に寄贈され、県立大和民俗公園の構内に移築された。
主屋を屋敷敷地の間口一杯に建て座敷前に格子を構え、土間みシモミセを設け、妻を塗屋風にする点など町屋の特徴を持つ。
一方、茅葺き屋根の外観や整形4間取の上手に座敷を設けた平面などには農家の特徴を持ち合わせている。
農家と町屋の両者混合した地方的町屋の遺例。
<主屋>
桁行17.6m、梁間7.0m、切妻造、茅葺
南面及び北面庇付、本瓦葺
北面便所及び渡下附属
江戸時代[元禄年間(1688-1794)頃]
旧岩本家住宅
Kyu Iwamotoke
撮影:2008年9月
旧岩本家は奈良県宇陀郡室生村(現在の宇陀市室生区)にあった。急な傾斜の茅葺屋根に小さな煙出し破風を付けた入母屋造りの山村農家のたたずまいを持つが木柄が太く、上手側3室並ぶ座敷構えは江戸時代庄屋を務めた家にあたる。
昭和54年奈良県に寄贈され現在県立大和民俗公園構内に移築された。
下屋と上屋からなる構造で、平面は北側が土間で、居室部は土間に面した部分が食違い型3間取を基本とし南側に座敷が3列並ぶ構造になっている。部屋境はすべて差鴨居としている。
平面は3間取りに座敷3室を加えたもので、食違間取りの発展形式と考えられる。
桁行13.9m、梁間11.7m、入母屋造、茅葺
正面軒せがい造
江戸時代[嘉永年間(1848-1854)頃]
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