奈良県吉野町 金峯山寺
Kinpusenji,Yoshino town,Nara
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吉野郡吉野町吉野山2498 金峯山寺銅鳥居 重文 近世以前/神社 室町中期 室町中期 銅製明神鳥居 19421222
吉野郡吉野町吉野山2498 金峯山寺二王門 国宝 近世以前/寺院 室町中期 康正2(1456) 三間一戸二重門、入母屋造、本瓦葺 風鐸1箇 19060414 19531114
吉野郡吉野町吉野山2498 金峯山寺本堂 国宝 近世以前/寺院 桃山 天正19(1591) 桁行五間、梁間六間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺 19020417 19531114
Sep.2021 酒井英樹
<<金剛力士像>>
金剛力士像(国指定)では東大寺南大門の金剛力士像に次ぐ大きさを持つ
仁王門修理期間中は、奈良国立博物館旧本館にて展示されている
May 18,2019 野崎順次 source movie
奈良県吉野郡吉野町吉野山
金峯山修験本宗総本山
国軸山 金峯山寺
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。 明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの世界文化遺産に登録されました。
(金峯山寺ウェブサイトより)
パンフレット
竹林院の近くで田舎ランチを食べてから、北へ歩く。
金峯山寺の南の石段を上がり、二天門跡あたり
四本桜
国宝 蔵王堂
観音堂
愛染堂
南朝妙宝殿
県文 威徳天満宮
神楽殿あたり
国宝仁王門は工事中
銅門、関屋地蔵尊、黒門を経て
近鉄吉野駅
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山
冬の吉野、金峯山寺を訪ねました。
駐車場がないので、下千本の無料駐車場に車を止めて歩いていきます。
黒門(総門)
ケーブル吉野山駅の少し上に建っており、金峯山寺の総門とされます。
近年再建されました。
くぐったところに、「史跡及び名勝吉野山」の石碑があります。
黒門から少し上れば、銅鳥居が見えます。
銅鳥居(重要文化財)
室町中期建造の銅製明神鳥居です。
指定名称は「どうとりい」ですが、金峯山寺や吉野の人は「かねのとりい」と呼びます。
よく見ると、足下が蓮台になっています。
創建当初のものは高師直が吉野を攻めたときに失われ、室町中期に再建されました。
石段の上に建っており、日中の大半は逆光になります。
扁額「発心門」は、大峯修行の入口であることを示しています。
銅鳥居から3〜4分登れば、二王門が見えます。
二王門(国宝)
康正2(1456)年の建築
三間一戸二重門、入母屋造、本瓦葺
大修理が予定されており、大勧進で3月末から6月7日まで蔵王堂の本尊が御開帳になります。
急な石段の上に建っているため、離れないと全景は見られませんが、電線と鉄パイプの構造物が気になります。
また、境内の石垣の改修のため、二王門をくぐっても、一端右を迂回して蔵王堂に行かなければなりません。
境内各所
本堂(蔵王堂、国宝)
天正19(1591)年の建築
桁行五間、梁間六間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺
仁王門が北を向いているのに、蔵王堂は南向きです。
東大寺大仏殿に次いで大きな木造建築物です。
遠く鳳閣寺からもくっきり見えるほど大きな建物です。
June 2010 酒井英樹
Edited Movie Download YouTube Apr.2010
A camera
金峯山寺
Kinpusenji
B camera
吉野朝宮跡
Yoshino chogu ato
蔵王堂
Zaodo
仁王門
Nioumon
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