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奈良県吉野町 宮滝遺跡

(Miyataki Remains, Yoshino Town, Nara)

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May 24, 2025 野崎順次 source movie

奈良県吉野郡吉野町宮滝
宮滝遺跡
( Miyataki Ruins, Yoshino-cho, Yoshino-gun, Nara Prefecture


国史跡

このあたりの吉野川の両岸は巨岩奇石でおおわれ、水の流れはエメラルド色。付近から縄文時代以降の遺構・遺品が出土しています。天武・持統天皇がたびたび訪れた吉野の宮跡といわれ、近年、それを裏付ける建物跡の一部が出土しました。風光明媚なこの地は、『万葉集』や『懐風藻』にもその美しさが多く詠まれています。
(奈良県観光公式サイトなら旅ネット)

パンフレット、これまでの発掘成果と整備計画

    


西の石碑

   

大型建物跡、輪郭を石と赤いテープで示している。

       

吉野離宮の遺構出土地

   

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遺跡東寄りの説明板あたり

       

柴橋近くの石碑

  

国道169号線の北、飛鳥時代の池状遺構(吉野宮跡)

     

吉野川の景観、柴橋の下流

                

柴橋の上流

                   

街並み、国道169号線から旧東熊野街道へ

         

旧東熊野街道、吉野川河畔から宮滝集落へ

      

吉野歴史資料館
外観と庭の枯山水

           

現地説明板と吉野町関連パンフレット

             

展示

                                         

帰途、宮滝バス停待合所の席にツバメの巣があった。レプリカ?

    

近鉄電車からの眺め

         

 


July 2010 撮影/文 野崎順次

奈良県吉野郡吉野町宮滝

国指定史跡 宮滝遺跡

撮影日: 2010年7月31日

上市から吉野川に沿って、国道169号線をおよそ5km遡る宮滝である。宮滝は飛鳥時代から奈良時代にかけて、天皇や大宮人たちの遊覧の地として「吉野の宮」あるいは「吉野離宮」が営まれた。 

昭和5年から始まった宮滝遺跡の発掘調査は現在にいたるまでなお続けられ、数々の重要な成果を収めている。地下のもっとも深い所からは縄文時代晩期の土器、そして弥生中期の土器や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、もっとも浅い所からは古墳時代の須恵器の破片や飛鳥奈良時代の建物、庭園遺構が出土している。

ことに斉明、天武、持統朝時代の宮殿跡と思われる所からは、喜佐谷を通して南の方に吉野山の最高峰青根ヶ峯(858m)を望む位置にあることを思えば、おそらく青根ヶ峯を吉野宮の神奈備山(かんなびさん)として、あがめ尊んでいた。ところが、奈良朝の聖武天皇のころの宮殿は「吉野離宮(続日本紀)」となって、そこからはもう青根ヶ峯は見えず、代わって正面に「象山(きさ やま)」を仰ぐ位置に移ります。このことは、おそらく斉明、天武、持統天皇の吉野宮が祭祀の場としての性格から、聖武天皇の吉野離宮の遊覧への変化を思わせます。

いま史跡に指定されている宮滝を歩いてみても、宮滝遺跡はすべて埋め戻され、つぶさに見ることは出来ませんが、吉野歴史資料館では、長年にわたる発掘調査の成果を映像や 出土品を通して、分かりやすく解説しています。

上市から宮滝に

          

柴橋から下流を見る。

        

上流を見る。

       

上流の岩場を歩く。

           

下流の岩場

        

河原の茂みでオニヤンマの産卵に出会った。

     

宮滝の村落をぶらぶら

    

吉野歴史資料館

                                            

帰りのJRで変な外人がいた。

      

参考資料

Yosino-pc HP新吉野紀行  宮滝遺跡


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