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奈良県吉野町 吉野神宮

Yoshinojingu, Yoshino town, Nara

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May 22,2022  大野木康夫  source movie

所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山3226

吉野神宮は吉野山の北部に鎮座しています。
吉野山の下千本駐車場に向かう道を登り始めてすぐのところで、参拝用駐車場も整備されています。
公共交通機関なら近鉄吉野神宮駅から表鳥居まで1kmほどです。
明治に創建され、大正から昭和初期にかけて拡張された比較的新しい神社ですが、近代神社建築を確立した角南隆が初期に設計した代表的な事例として、ほとんどの社殿(23棟5基)が令和2(2020)年度に奈良県から県指定文化財に指定され、県指定文化財となった社殿すべて(数え方が変わり26棟3基)が令和4(2022)年5月20日に文化審議会から、重要文化財に指定するよう答申されました。

【奈良県指定概要】
吉野神宮は吉野町吉野山の北部に位置し、同地において吉野朝廷(南朝)を構えた後醍醐天皇を奉祀する官幣中社「吉野宮」として明治 25 年に創建された。その後、明治34年に官幣大社に昇格し、大正7年には神宮の号を奉称して「吉野神宮」と改称しており、社格に比して狭小となった社域を拡張するために大正12年から昭和7年にかけて再整備がなされ、このとき多数の建物が一新されて現在に至る。
当社は内務省様式の先駆的作品であり、細部装飾等に近代的造形を示すほか、廻廊に特異な平面形式を採用し、本社と摂社を十字に交差した軸線上に巧みに配置する点において独自性が認められる。こうした建築群が良好な状態を保って現存する点は貴重であるとともに、近代神社建築史上重要な役割を果たした角南隆が設計を担った最初期の作例としても高い価値を有する。

【文化審議会答申】
吉野神宮は、吉野山の北部に位置し、同地に吉野朝廷を構えた後醍醐天皇を祀る神社として明治中期に創建された。大正末から昭和初年にかけて整備された境内は三つに区画され、本殿に向かって地盤面を高める配置は巧みで、建物を接続してできた複雑な屋根構成は豊かな社頭景観をつくる。細部意匠には、近代的な創意が認められ、意匠的に優秀である。内務省神社局の直営に係る、近代日本に相応しい神社建築を追求した角南隆が設計した、最初期の神社として歴史的にも重要である。

周囲を森に囲まれた境内に簡素で統一された様式の社殿が並び、大変おごそかな雰囲気です。

参集殿(奈良県指定文化財)

明治25(1892)年の建築
木造平屋建、瓦葺、建築面積80㎡

大鳥居の前方、参道近くに建つ、もと絵馬殿。桁行三間梁間二間、入母屋造桟瓦葺。方柱で舟肘木を載せ、二軒疎垂木。現在は漆喰壁に連子窓を設けるが当初は吹放ちであった。内部は独立柱2本を建て、縦横に虹梁を掛け渡す。近世以来の伝統的な意匠を受け継ぐ。
【奈良県指定文化財となる前に登録有形文化財として国指定文化財等データベースに記載されていたときの解説文から引用、以下同じ】

駐車場から大鳥居前に行く途中に建っています。
          


部分撮影
         


制札屋形(奈良県指定文化財)

昭和6(1931)年の建築
木造、銅板葺、幅2.0m

大鳥居前の参道脇に建つ。高い壇正積基壇上、柱間2.0mに面取方柱を建て、根肘木付の腕木で桁を持ち出し、一軒疎垂木を配る。切妻造銅板葺で、大きく猪ノ目を開ける梅鉢懸魚を破風拝みに飾る。基壇上四周に木柵をまわす。広い境内に見合った大型の制札屋形。

大鳥居に向かって左側に建っています。
          


部分撮影
      


大鳥居(奈良県指定文化財)

昭和5(1930)年の建築
木造、間口6.4m、高さ6.1m

神門の北方に北面して建ち、正面には十級に石階を据える。素木造の明神鳥居で、幅6.4m高さ6.1mと規模が大きい。内転びに円柱を建て、貫と嶋木で固め、笠木を載せる。貫や島木等を柱外に長く張り出し、笠木も大きく反り、堂々とした外観になる。
               


部分撮影
     


上を向いている狛犬
 


神門、宿衛舎、神符授与所、表手水舎

社殿の連なりが見えて神々しい雰囲気です。
               


表手水舎(奈良県指定文化財)

昭和6(1931)年の建築
木造、銅板葺、面積11㎡

神門の東北に南北棟で建つ。桁行一間梁間一間、切妻造銅板葺。梁行に隅柱と添柱を並べ、大きな切石礎石上に建てる。いずれも方柱面取。組物は舟肘木。一軒疎垂木で、化粧屋根裏とする。妻は豕叉首組で、梅鉢懸魚に小さな鰭を飾る。軸太で力強い意匠になる。
     


部分撮影
        


神門(奈良県指定文化財)

昭和4(1929)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積37㎡、左右脇扉付

拝殿の北方に所在し、北側に石階を設ける。切妻造銅板葺の三間一戸八脚門で、両脇に脇扉を付設。親柱を円柱とし、中央間に方立を構え両開板戸を吊る。両脇間は地覆、腰貫、内法貫を渡し、連子窓を開ける。妻は豕叉首。直線的で、均衡のある美しさをもつ。
        


部分撮影
               


宿衛舎(奈良県指定文化財)

昭和4(1929)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積21㎡

神門の西に位置し、南北棟で建つ。神符授与所と基本的に規模や形式が同じであるが、内部の間仕切や側まわりの建具など一部が異なる。神門を中心に、同じ外観になる神符授与所と宿衛所が東西に並び建ち、緊張感のあるシンメトリーの正面を構築する。
        

神符授与所(奈良県指定文化財)

昭和4(1929)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積21㎡

神門の東に位置し、南北棟で建つ。桁行三間梁間一間、切妻造銅板葺。方柱で、舟肘木、一軒疎垂木。北側二間が四畳で物入を付設、南一間を神符授与に使い、西面から南面にかけて外側に棚を張り出す。南寄りには引違い戸をたてる窓、北寄りには連子窓を開ける。
            


部分撮影
    


修祓所(奈良県指定文化財)

昭和6(1931)年の築造
石造、面積116㎡

神門の北西、表手水舎の向いに所在する。御影石を乱積とする二重の基壇。一段目は東西9.9m南北12mの矩形平面で高さ17㎝、二段目は凸形平面で高さ37㎝。自然石を敷き詰め、二段目中央後寄りに榊を植える。祓いを行う場で、境内景観を構成する一要素。
            


外玉垣(奈良県指定文化財)

昭和4(1929)年の建築
木造、銅板葺、総延長98m

東・西廻廊の端から北へ延び、途中に東門や神門を構え、摂社を含める一郭を囲む。切石礎石上、方柱を建て、地覆と腰長押、内法長押で固め、棟木を受ける。内玉垣と同様、腰長押上は木柵を内法長押が挟み込むような形式とするが、摂社周囲は簡略化している。

東側
            


西側
        


東門(奈良県指定文化財)

昭和4(1929)年の建築
木造、銅板葺、間口3.4m

摂社拝殿の東方に南北棟で建つ。一間腕木門で、両脇に潜りを付ける。礎石上、方柱を建て、内法貫で固め、舟肘木を介して棟木を支持する。一軒疎垂木で、屋根は切妻造銅板葺。背面には控柱を建てる。蟇股のように見える笈形付大瓶束を中備に飾る。
       


部分撮影
       


拝殿(奈良県指定文化財)

昭和3(1928)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積87㎡

祝詞舎及び楽舎の北方に位置する。入母屋造銅板葺で、桁行五間梁間三間と規模が大きい。円柱で、柱上大斗肘木。二軒半繁垂木とし、要所を力垂木とし、天井桁を受ける独特の仕様をもつ。床石敷で、天井は四周を化粧屋根裏、中央を格天井とする。風格を備えた拝殿。
           


部分撮影
               


廻廊(奈良県指定文化財)

昭和3(1928)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積98㎡

拝殿の東西に取り付く。それぞれ桁行七間梁間一間の単廊で、切妻造銅板葺。円柱で、舟肘木を置き、一軒半繁垂木。豕叉首組で化粧屋根裏天井とする。拝殿寄り各四間は北面に、残りは南面に腰板壁と連子窓などを入れる。拝殿と一連で威厳ある構えをつくる。

西廻廊
         


東廻廊
        


祝詞舎及び楽舎(奈良県指定文化財)

昭和2(1927)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積111㎡

本殿の正面に位置し、壇正積基壇上に建つ。東西に長い祝詞舎と、その東西に付く南北棟の楽舎2棟を一体的に繋ぎ、H字型に屋根を造る。円柱で、舟肘木を置き、一軒疎垂木。正面側を吹放ち、床石敷とし、天井は化粧屋根裏天井。簡明ながら厳粛な雰囲気をもつ。
          


祝詞舎
      


楽舎(西)
 

楽舎(東)
    


神庫(奈良県指定文化財)

明治23(1890)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積29㎡

本殿の西南に東西棟で建つ。桁行三間梁間三間、入母屋造銅板葺で、壁は化粧校木とする。組物は大斗肘木で、一軒半繁垂木、妻は豕叉首組。正面にのみ出入口を開き、両開戸をたてる。内部は一室で、壁面に沿って三方に檀等を設け、天井は格天井。校倉風神庫の一例。
  


内玉垣(奈良県指定文化財)

昭和3(1928)年の建築
木造、銅板葺、延長155m

東西の各廻廊から延び、本殿の一郭や神庫を囲繞する。切石礎石上、方柱を建て、地覆と腰長押、内法長押で固め、棟木を受ける。腕木で軒桁を支え、裏板を架し、銅板葺とする。低い腰板壁で、腰長押上は木柵を内法長押が挟み込むような独特の形式とする。
 


神饌所(奈良県指定文化財)

昭和6(1931)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積49㎡

本殿の東方、内玉垣の外に北面して建つ。桁行7.9m梁間3.6m、東西棟の切妻造銅板葺で、南面中央に突出部、北面西寄りに縋破風を付ける。内部は東西二室と突出部に分かれ、西室には祭壇を設け、東室には竈と洗い場がある。近代における神饌所の一例。
 


摂社拝殿(奈良県指定文化財)

昭和3(1928)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積23㎡

摂社三殿の正面に位置する。南北棟の切妻造銅板葺。面取方柱で、舟肘木、一軒疎垂木。桁行三間梁間三間規模で、四方吹放ち。正面は中柱を抜き、前寄り一間通りに柱筋を設け、奥二間の床を一段高くし、正面側を礼拝部分として扱う、独特な構成をもつ。
       


部分撮影
             


摂社三社
   


摂社御影神社本殿(奈良県指定文化財)

昭和3(1928)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積5.3㎡

本殿の一郭から西北の位置に所在する。同規模・同形式の摂社三殿が東面して並列して建ち、その中で北端に建つ。隅木入の一間社春日見世棚造風の造りになり、屋根は銅板葺。基壇上に亀腹を造り、身舎の正・側面に縁をまわし、正面に浜床を張り、組高欄を付ける。
    


部分撮影
             


摂社船岡神社本殿(奈良県指定文化財)
昭和3(1928)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積5.3㎡

同規模・同形式の摂社三殿の中央に位置する。身舎は円柱で、大斗肘木とし、一軒半繁垂木。向拝は方柱で、水引虹梁等はなく、舟肘木が桁や繋梁を支持する。軒は一軒半繁垂木。妻は豕叉首とする。懸魚は梅鉢形であるが、中央に猪ノ目を刳り抜いた独特の形になる。
     


部分撮影
           


摂社瀧櫻神社本殿(奈良県指定文化財)

昭和3(1928)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積5.3㎡

摂社三殿の南に位置し、東面する。他の摂社と同じ春日見世棚造風の小規模な社殿である。身舎正面柱間を開放とし、少し入った位置に幣軸を構え、両開の板扉を設ける。側・背面は横板壁とする。同規模・同形式の三殿が近接して建ち、森厳な佇まいを見せる。
     


部分撮影
       


裏手水舎(奈良県指定文化財)

明治23(1890)年の建築
木造、銅板葺、面積8.1㎡

東門の東南に位置する。東西棟の入母屋造銅板葺。桁行一間梁間一間に、方柱を建て、内法長押等で固め、舟肘木を置く。内法長押上に吹寄菱格子欄間を飾る。一軒疎垂木で、内部には格天井を張る。妻は木連格子、鰭付蕪懸魚。丁寧に造られた軽快な手水舎。
       


部分撮影
           


裏鳥居(奈良県指定文化財)

明治23(1890)年の築造
木造、間口5.1m、高さ5.6m

境内の東方に位置し、裏参道正面に南東を正面に建ち、鳥居柱左右には木柵が付く。素木造の明神鳥居で、幅5.1m高さ5.6mと三基の鳥居の中で最も小さい。内転びに円柱を建て、貫と嶋木で固め、笠木を載せる。神域を荘厳に結界している。
     


部分撮影
     


井戸屋形(奈良県指定文化財)

昭和6(1931)年の建築
木造、瓦葺、幅1.6m、井戸付

神饌所の東方に位置する。周囲に葛石をまわし、中央に石造の井桁枠を置き、その東西に方柱を建て、その前後を斜めの添柱が支える。長い腕木が桁を持ち出し、深い一軒疎垂木を支持する。屋根はやや起りのある切妻造桟瓦葺。明治造営時の境内の様子を伝える遺構。
    


斎館
 


斎館の窓越しに見える神饌所、本殿

本殿(奈良県指定文化財)

昭和2(1927)年の建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積38㎡、渡屋付

境内の後方に位置し、壇正積基壇上に北面して建つ。大型の三間社流造で、周囲に跳高欄付切目縁をまわす。身舎は円柱で、三斗組、二軒繁垂木とし、妻豕叉首。正面と側面前間に両開板扉を構え、内部は内・外陣に分ける。大規模な社殿で、内務省による本殿の好例。
       


裏門及び透塀(奈良県指定文化財)は撮影できませんでした。


事務局用

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