MONTHLY WEB MAGAZINE Apr.2011

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■ 東日本大震災 川村由幸 

2011年3月11日午後14時46分に私は東京都港区の事務所におりました。激しい揺れが長時間続き、事務所のあるビルの外に避難。

東京タワーが大きく左右に揺れ、先端が増上寺のほうに少し曲がってしまいました。

港区の震度は「5弱」、その後も余震は続くものの、それほどの恐怖も危機感もなく仲間とお酒をいただいていました。

結局、その後電車は止まったままで帰宅難民となり、事務所で一晩過ごし、翌朝帰宅。

柏まで、普通なら1時間程度の移動時間が7時間。自宅にたどり着き、テレビのニュースを見て、恐怖に慄きました。

そのあと1週間はテレビのニュースを見ては涙を流すことを繰り返していました。

想像することさえ難しいほどの激甚災害、津波がこれほどまでの被害をもたらすとは!

さらに東京電力福島第一原子力発電所の地震・津波をきっかけとした危機的なトラブル。

心底から恐怖と戦慄を覚えました。

一週間が過ぎるころから、何をすればよいのか、何かしなければという思いが強くなりました。

また、被災され避難されている方々の忍耐と節度ある行動に日本人として誇りを感じていました。

反面、首都圏で発生した物の買い占め・買いだめによる物資不足の状況は堪らなく醜悪で、これが同じ日本人とはとても思えませんでした。

そして、被災地に寄せる外国の方々の思いに頭が下がりました。

このころからだと思いますが、ネットに多数の安否情報が流れ出しました。私も岩手県大槌町に仕事でお世話になった方がお住まいで必死に情報を探しましたが、なかなか安否はつかめずにおりました。

結局、最も役に立ったのが「Google Person Finder」でここで家族方と連絡がつき、残念な結果でしたが安否が確認できました。

今回の大震災におけるGoogleが実行していることは、社会的に評価されてよいと考えています。国や自治体が実行すべきことを代行しているようです。

我が家の周囲には大きな地震の被害はありませんでしたが、それでも屋根瓦の破損やコンクリートのひび割れは発生しました。

しかしながら、避難の必要なほどの被害はありませんでした。

屋根瓦が破損し被災された方には深刻な問題であることは間違いありませんが。

結局、私は柏市役所の出張所に募金に行くことしかできませんでした。

もちろん、節電には徹底的に協力しています。

しかしながら、それだけでは自分の気持ちが納得できないでいます。

今まで、ポランティアの経験もなく、これから実行しようとしても足手まといなことも理解しています。それでも被災地や被災された方々のために何かしたいとの思いは強く、何もできない自分を歯がゆく感じています。

今後、福島第一原子力発電所の問題は長く尾を引くでしょう。

ここで発電された電力を使用していたのは福島県民ではありません。このことが問題をさらに難しくします。

電力供給という社会・経済の根本も見直しが入らざるを得ないでしょう。原子力を止めれば良いというほど簡単な問題ではありません。

そして、復興には時間が必要です。今だけの支援でなく、継続した息の長い支えが大切です。

大震災の傷跡が物心共に癒える日が一日でも早いことを心より祈っています。

これからも、何もできない自分ですが、何かできることはないかともがいて行きたいとも考えています。

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