MONTHLY WEB MAGAZINE June.2011

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■ 福知山線脱線事故を思い出して 野崎順次

2005年(平成17年)4月25日午前9時19分頃、JR福知山線脱線事故が起こった。死者107名、負傷者562名の大惨事であった。

福知山線は大阪(大阪府)から、尼崎・宝塚・篠山口(いずれも兵庫県)を経て、福知山(京都府)至る。事故が起こったのは尼崎駅の近くで兵庫県内である。大阪駅から約9km、宝塚駅から約16kmの地点だから、福知山とは全く関係ない。宝塚・大阪間は朝夕多忙な通勤区間で、一般に宝塚線と呼ばれている。宝塚方面から来た電車は尼崎で、東海道本線(JR大阪駅)に行く場合と、東西線(学研都市線)に行く場合に分かれる。事故を起こした電車は東西線行きであった。先頭車両が脱線して、線路沿いのマンションに激突し、死者と重傷者は1〜2両目に集中した。ちなみに、私は尼崎市在住で、尼崎駅から東西線で通勤している。通勤時間は事故車両より20分位早いし、事故地点は通らない。でも、比較的身近な出来事だった。間接的な知人(妻、娘、息子の知り合い)が亡くなられたり、肉体的精神的後遺症で苦しんでおられる。また、最初に現場に駆けつけて救助活動をされた人の話(凄まじい)も、間接的に聞いている。

事故後55日ぶりに宝塚・尼崎間が復旧し運行が再開された。さて、その日、尼崎で宝塚方面から来た電車に乗り込んで驚いた。先頭車両にはだれも乗客が乗っていない。2両目は3〜4人だけだった。3両目以降は満員に近い状態だった。大地震の後の余震ではあるまいし、同様の事故が起こると云うのか。事故の報道をテレビで何回も見て、何となく先頭車両近くを避けたいという気持ちが分からないではないが、あまりにも稚拙な感情的な判断である。たたりとか、迷信の世界ではないか。私たち日本人は個人的には恥ずかしいことをしたくないと云う倫理に拘束されるが、集団になると付和雷同する。

2日目も同様だった。3日目あたりから1〜2両目に乗る人が増え始め、1週間後にも元に戻った。忘れやすいのも私たちの特性である。

その昔、「週刊東京」1957年2月2日号に評論家大宅壮一氏が書いた評論から引用したい。一億総白痴化という言葉が生まれた。54年前の発言だが、未だに新鮮である。

「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。」

テレビというメディアは低俗な情報ばかり提供して、視聴者の思考力や創造性を大きく阻害するということである。

論理は飛躍するが、先頭車両に乗らないのは、テレビ(マスコミ)による感情操作に影響されたからだろう。高い視聴率を取るためには大衆の最も卑しい感情に訴えるのが常套手段である。毎日、激突した車両を何度も何度もテレビで見ていると恐怖感が定着する。私たちの多くは理性ではなく感情で行動する。

今回の東日本大地震でも、私たち個人は東北の食品や観光地の安全性に理解を示すが、全体としては風評被害を促進する。ゴールデンウィークに倉敷と京都に行ったが、例年になく観光客が多かった。東日本の観光地へ行く筈の人々が西に流れてきたのだろう。という訳で、最近の東日本大震災の報道に腹立ち悲しみながら、福知山線脱線事故を思い起こしている。

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