MONTHLY WEB MAGAZINE July.2011
■ 大学バスケット部時代のあだ名(40年以上前の話) 野崎順次
広辞苑によれば、あだなとは、「渾名・綽名、(アダは他・異の意)その人の特徴などによって実名のほかにつけた名。
あざけりの意味や愛称として付ける。 異名。ニックネーム。」とある。
さらにオックスフォード現代英英辞典で、ニックネーム(nickname)は
「an informal, often humorous, name for a person that is connected with their real name, their personality or appearance, or with sth they have done」。
訳してみると、「ユーモラスなことが多い、非公式の呼び名で、その人の実名、性格、外観あるいはその人にしたことに関連している。」 なお、sth は something の略。
昔の方が人をあだ名で呼ぶことが多かったような気がするし、変わったあだ名も多かった。今をさる40年以上前、関西の大学のバスケット部に、片岡さん、樽谷さん、町野さんという先輩がいた。 それぞれの同年輩あるいは年上からこう呼ばれていた。
片岡 → カッタン
町野 → マッチン
これは語尾をはしょって、「ん」を付けた省略形である。
樽谷さんは、決して、「タルタン」とか「タルチン」とは呼ばれず、大阪人らしく「タルやん」であった。
同様の例として、別の友人で、徳田 → トクチンというのもある。
本田さんと云う同じ名字の先輩が二人いた。区別するため、一人はのっぽで名前が武蔵(むさしではなく、たけぞう)なので「たけぞう」と呼ばれていた。
もう一人の本田さんは背が低かったので、ちびの本田、略して「チーポン」だった。 その頃、我々の間で麻雀が盛んであったが、誰も麻雀の「チー、ポン」を連想する者はいなかった。 イントネーションが違ったからだろう。 下級生の私たちは、「たけぞうさん」「チーポンさん」と呼んでいた。
やはり、先輩で坂東さんと云う二浪した人がいて、しかも老け顔であった。 で、「お父ちゃん」と呼ばれていた。 われわれは、「お父ちゃんさん」と云えず、「坂東さん」と呼びかけたが、本人のいないところでは、「お父ちゃん」と云っていた。
同学年の部員は10名くらいいたが、たいがいは普通に名字を呼び合っていた。 あだ名としては僅か2例である。伊藤は合宿の昼寝中、開いた口に蛾が飛び込んだので、それ以後、「ガ」と呼ばれた。 Y君は鼻の穴の断面が見事な長方形だったので、一部の友人には陰で「ハナ」と呼ばれた。 Y君には独特の粘りと気配りとテクニックがあったようで、その人生は豊かな女性経験に彩られたらしい。 よー知らんけど。
下級生に井上がいた。 家が兵庫県明石市(蛸が美味しい)であった。そのため、「タコ」と呼ばれた。
いま思い出せるのはこれくらいである。
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