MONTHLY WEB MAGAZINE Nov.2011

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■ 高田好胤さんの思い出 野崎順次

私の出た小中学校は神戸にありましたので、遠足や修学旅行ではよく京都、奈良に行きました。特に覚えているのは奈良の薬師寺です。若かりしといっても30代後半の高田好胤さんのダジャレ混じりの説明が面白かったのを覚えています。

「三重塔の上にあるのが、九輪といいます。皆さんのお家にあるのは七輪です。こんな洒落は、皆さんの学校のある神戸が本場です。シャレコウベと言うでしょう。」

また、三重塔の裳階(もこし)についてもスカートみたいなものと説明していました。

修学旅行や遠足で薬師寺に来て好胤さんの説明を聞いた生徒の数は全国で500万人にも及ぶそうです。

中学校時代のクラスメートの女性(ミス神戸に輝いたこともある才色兼備)に聞いた話です。9歳年上のお姉さん夫婦は学生時代に古美術研究会というクラブに所属しており、若き好胤さんを知っていましたので、彼女の家にも立ち寄られたことがありました。「笑顔の素敵なお坊さん」で、ステーキと草野球が好きなやんちゃな方だったそうです。ちなみに、お姉さん夫婦の結婚はキリスト教会で行われ、披露宴の司会者は神職の先輩、来賓は仏教僧侶の好胤さんだったとのこと。

高田好胤さんの生涯は1924年3月30日〜1998年6月22日です。私の22歳上です。彼は修学旅行に訪れた女生徒と交際を続け、30歳の頃に結婚して薬師寺の歴史で初めての妻帯僧となりました。

1924年 生誕

1935年 薬師寺入寺 。橋本凝胤に師事。

1946年 龍谷大学仏教学科卒業。

1949年 薬師寺副住職。修学旅行の生徒達への法話に力を入れた。

1954年 結婚

1960年頃 私たちがダジャレ説明を聞く。

この後、全国的に有名になられた。

1967年 薬師寺管主、法相宗管長に就任。金堂復興を発願。

1968年 写経勧進始まる。

1976年 100万巻の写経集まる。金堂復興。

1981年 西塔再建。

1984年 中門落成。

1991年 玄奘三蔵伽藍を造営。

1997年 写経勧進六百万巻を達成。

1998年 逝去。

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