MONTHLY WEB MAGAZINE Dec.2011

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■■■■■ イアン・ダセックの母方祖先、マレー家の人々 野崎順次

英国人イアン・ダセック氏(Ian Dussek、72歳)は、トリニダッド産天然アスファルトの輸入で知り合った40年来の友人で、13年位前に引退したが、今でも親交がある。10年前には英国アスファルト産業に長年貢献したとして、女王陛下から大英帝国勲章(OBE)を授与された。クラシックレーシングカーの熱烈な愛好者で、特にHRG名車の権威である。この分野での著作もある。古き良き時代の伝統を残す温厚な英国紳士であるが、商売では狡猾な面もあった。

彼の父方の祖先はヤン・ラデイスラフ・ドウシーク(Jan Ladislav Dussek、1760-1812)というボヘミア人作曲家・ピアニストで、イギリス・ピアノ楽派の基礎を築いたことで知られ、今でも彼の曲のCDが人気を呼んでいる。

イアン・ダセックは優れたストーリーテラーでもあり、いろいろ面白い話を手紙でくれたが、今回は母方のマレー家の話をしょう。

曽祖父のジョン・アイヴァー・マレーは1824年に生まれた。長じてエディンバラ大学で医学を学び、軍事外科で表彰された。1846年、中国にわたり、広東で病院を経営し、1852年には上海に行き、香港北部に最初の西洋系病院を自費で開業した。彼は自然史に非常に興味があり、英国の大学や博物館に多くの標本を送っている。

1855年にクリミアに旅行し、クリミア戦争の間、バラクラバの病院の副医院長を務めた。その後、英国に戻り、1858年に北京の英国大使館の一員として派遣されることになった。しかし、インドでの暴動のため、計画が変更になった。彼は香港に直行し、植民地軍医総監となり、病気と消毒に関して多くの開拓的業績を上げた。

1859年には日本を訪れ、当時の英国領事、ハワード・ヴァイン大尉に依頼されて英国人居住地の選択を助けた。それが発展して現在の横浜市街になった。そのころ、インドにも旅している。

香港で彼は大変な金持ちになり、海岸沿いの広大な土地を購入した。彼の専門は性病の予防と治療で、明らかに名医であった。米国海軍の艦隊軍医によれば、「公娼の登録と検査と云うシステムから派生する利点に、私は感動を覚えた。我々が訪れるほとんどの港で水兵は梅毒に感染した。特に日本がひどく、感染力が強烈であった。しかし、香港滞在中に感染したものは皆無に近かった。」また、英国海軍副監察官によれば、「私自身の経験から判断して、マレー氏独特の検査方法のお陰で、梅毒はほとんど消滅した。使用される器具の性能が見事で、子宮頚を含む各部位が迅速に完全に観察でき、しかも女性に対して僅かの痛みを与えない。」これらの業績により、彼はあらゆる国からメダルを授与されたようである。おそらく、それらの国の大使の治療もしたのであろう。

1861年、マレーは結婚し子供をたくさん作った。ただし、その子供たちで結婚したものは非常に少なかった。イアン・ダセックの祖父は末っ子で男と女の二人の子供があった。その男の方(イアンの叔父)に子供はなく、女の方(イアンの母)はたった一人(イアン自身)を育てただけだった。

香港でマレーは1年に2万ポンド稼いだ。当時としては極めて巨額である。彼は贅沢三昧にふけり、ある時などはディナーの後でテーブルクロスの四隅をつかんで窓から放り投げた。決してスマートな話ではない。その中にはセーブル磁器ディナーセットやとびきり上等のクリスタルグラスが入ったままだった。

1871年頃、マレーは帰国を決意した。財務顧問たちは、彼の香港の莫大な資産と香港上海銀行の大量の株券を売り払うように助言した。そして、全額をコーンウォールの錫の鉱山に投資させた。これはよくいって大失敗、より正確には詐欺であったろう。大半の財産を失った。その後、ヨークシャーのスカボロで医院を開業し、結局、1903年に亡くなった。たとえ、マレーがお金を持ち続けていても、末っ子であるイアンの祖父まで、回ってこなかっただろう。人生ってそんなものだ。

1952年、イアンが13歳の時に亡くなった祖父は、非常に興味深い人であったが、残念ながら、彼の人生についてイアンに語ることはなかった。彼はずっと香港銀行に勤務し、上海、福州など中国の数都市を転勤した。マレー半島にも旅したことがあり、イアンの母はペナンで生まれた。祖父は第一次世界大戦の終わりに英国に戻り、ケント州ブロムリーに住んだ。若い頃は英国の著名な政治家の私的スパイ網の一員であった。英国情報部に勤めた後に作家になったジョン・ブカン(代表作「39階段」)もそのメンバーだった。ブカンの小説のいくつかは事実に基づいていると、祖父はイアンに語ったそうだ。

マレー家は魅力あふれる一族だ。曽祖父の妻のお母さんは予知能力があり、未来を予言した。一族の祖先はスコットランド史にまでたどることができる。祖先の一人は国境を越えて羊泥棒をしたため捕まった。捕まえた領主は、こう云った。「おまえは明日絞首刑になるか、我が娘と結婚するか、二つに一つだ。」娘を見ると、非常に醜かったので、いったん刑を受けることにしたが、最後の瞬間に気が変わって結婚した。その後、順調に幸せに暮らしたという。

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