MONTHLY WEB MAGAZINE Jan.2012

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■■■■■ 専称寺の如意輪観音 野崎順次

若い頃から明日香村によく行っていた。一人で行ったり、家族と行ったり、バスケット仲間と行ったり、何回行ったことやら。

写真のフィルムネガ残っているので年月日が分かっている。1978年12月23日、今から33年前で、この時は一人だった。小雪の舞う年末の寒い日で明日香村は閑散としていた。あるお寺に如意輪観音の石仏があるそうで、急に拝観したくなった。国や県の文化財指定はなく、個人蔵で特別の機会(例えば、石仏巡りのバスツアー)がなければ、なかなか難しいと思っていた記憶がある。だからこそ、閑散期にトライしょうと思ったのだろう。

普通の一戸建て住宅のようなお寺で境内の高台にお堂があった。今ではそのお堂の中に如意輪観音が安置されているそうだが、当時は違った。玄関で「こんにちは」というと小柄なお坊さんが出てこられた。(失礼ながら)ひとなつっこい笑顔をされていたので、ほっとした。「石仏を拝観したいのですが」とお願いすると、「うー」とおっしゃるだけである。もう一度聞き直してから、住職さんは口が不自由なことを理解した。「それなら、お経はどうするの」と思ったが、初対面で口にすることではない。にこにこされて手招きされるので靴を脱いで後に従った。細部の記憶はおぼろげであるから、こたつのある和室に入ると床の間の横に観音開きの仏壇のようなものがあり、開くと如意輪観音様がいらっしゃった。子供のような穏やかなお顔でいたづらっ子が砂遊びの途中に上を見上げたようだ。写真を撮らせていただいた。

それから、誰かが奉納した拓本も見せて下さった。

「こたつに入りなさい」、「みかんを食べなさい」と手真似で伝えられ、お互いにニコニコして見合いあう不思議な安らかな時間が過ぎていった。

その頃のフィルムネガをデジタル化して専称寺の石仏を思い出したわけであるが、本当に記憶通りなのか不安になった。そこで、専称寺に電話をかけると、おばあさんが出てこられ、そのお父さんが口の不自由な住職さんで3年前に98歳で亡くなられたと分かった。お名前は吉水誠聞とのこと。

(写真はいずれも2011年12月にデジタル化)

 

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