MONTHLY WEB MAGAZINE May 2012

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■■■■■ 桂米朝さんのこと 野崎順次

50年くらい前に、我が町に桂米朝さん(大正14年生まれ)が越してきた。

私は1946年(昭和21年)生まれだから、21歳年下であるが、米朝さんが来る前からここに住んでいる。

米朝さんの家にはソメイヨシノの大木があり、この間まで満開を誇っていた。本名は中川清である。

家の前の道路から少し入ると落ち着いた住宅街である。

お弟子さんが赤ちゃんを乳母車に乗せて歩きながら、「まあ、こっち入り」とかネタ繰りをしていたのによく出会ったが、おそらく若かりし「枝雀」や「ざこば」だったのであろう。赤ちゃんは「小米朝→米團次」である。

私が20代半ばの頃だったろうか、三宮で飲んだ後、終電の長い座席で寝込んでしまった。

駅に着いたとたんに目が覚めて慌てて飛び起きると、前の座席で同様に寝ていたおっさんも飛び起きた。見ると米朝さんだった。

私の家の近くに「竹やぶ」という和食堂があり、一時、お弟子さんをよく連れて来たようである。

今でも、米朝さんの俳句の額が飾られている。

「打水の打ったるまヽに凍りけり」写実的だがひねりがないと言ったら怒られるかな。

1996年に人間国宝に、2009年には演芸界初の文化勲章受章者となった。

数年前、米朝さんは腰椎を骨折した。80歳だった。3ヶ月後には高座に復帰したが、リハリビは続けているようである。

最近、私の母(91)が大腿骨骨折をして何とか順調に回復したが、米朝さんと同じ所でリハビリをする可能性が高い。

なお、我が町には、コメディアン・俳優の大村昆、実業家(元政治家)糸山英太郎、参議院議員鴻池祥肇も住んでいた。

特に鴻池さんは私の小・中・高の先輩にあたり、小さい頃に遊んでもらった記憶がある。

小柄だが剣道の強いお兄ちゃんという印象が残っているが、いろいろ他にも強いようである。

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