MONTHLY WEB MAGAZINE Sep. 2012
私は千葉県の利根川沿いの生まれで、今の柏にも40年近く居住しており千葉県には今までの人生のほとんどの時間住んでいます。
ところがなぜか成田山新勝寺に出かけた記憶が無いのです。
一度も出かけていないということはさすがに無いようです。
家内も一緒に参拝したと言っているぐらいですから。
なぜ記憶に残っていないのでしょう??
そんな不思議な気分を抱えながら成田山新勝寺を訪ねてきました。
テレビでは初詣や節分の本堂の様子がよく報道されるため、歴史とか文化財という言葉とは、離れたところにあるお寺だと考えていました。
調べてみると、なんと1000年を超える歴史があり、そり成り立ちには平将門が関わり、神護寺の空海作の不動明王までが出てくる由緒あるものでした。
市川團十郎の屋号成田屋もここが起源のようです。
そして、建造物も国の重要文化財が5棟、どれも趣のある建造物でした。
参拝の順路に従って紹介しますと、
まず、仁王門
参道から急な石段を上がったところにあります。魚河岸の大きな赤ちょうちんが目を引きます。
仁王門を抜け、さらに石段を上ると正面の本堂の右隣りに三重塔があります。
最近、彩色をやり直したようで本来の極彩色に彩られています。
そして、本堂
鉄筋コンクリート造ですから、文化財の指定はありません。
芸能人が豆まきをするのもここです。
本堂の前を左に進むと釈迦堂があります。
この釈迦堂は旧本堂、こちらの本堂のほうがずっと趣もあります。
なぜ、今の本堂を建てたのか理由がわかりません。
釈迦堂の左に見て、石段を昇ると額堂があります。
信者が奉納した額が掲げられているお堂です。額堂という建造物はとても珍しいと思います。
私は他でお目に罹ったことがありません。
この額堂の下に七代目市川團十郎の石造があります。
額堂を左手にした正面に光明堂があります。
これは釈迦堂の前の本堂だそうで、成田山には今、本堂が三つあることになります。
この光明堂が成田山で最も古い建造物で1701年、五つの重要文化財で最も新しいものが1861年の額堂です。
今、額堂の中には入れません。昨年の東日本大震災以降、額の落下の心配から立ち入り禁止となっています。
成田山の中で、私はこの額堂が最も気に入りました。掲げられている額もとても興味深いものです。
そんな訳で成田山新勝寺を見直しました。
江戸時代から続く庶民の信仰の中心であったことが理解できました。
今度は寒い時に訪れたいと思います。
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