MONTHLY WEB MAGAZINE Apr. 2013
■■■■■ オジサンの写真、主として昭和5年〜13年 野崎順次
オジサンと云っても実はオトーサンである。
晩年、子供がなかったので、私たち夫婦と養子縁組したからだ。いわゆる、「墓守り養子」である。
しかし、ただの墓守りではない。水道のない丘の上に祖先のお墓が13基もあるので、彼岸や命日の掃除が大変である。ヤブ蚊もすごい。
オジサンは8人兄弟の6番目の長男として、明治45年、備前国味野村(現岡山県倉敷市)に生まれた。
5人の娘に続く初めての男の子だったから大切に育てられた。
家は歴代特定郵便局長であった。
早くして母と姉一人を結核(当時は死病)で失った。
昭和5年に慶應に入学しているが、その頃から、カメラに凝ったようで、家には暗室もあり多くの写真が残されている。
戦前の写真をたどってみよう。
明治45年2月29日生まれだから、3歳とすると大正4年くらい。
大正10年あたりの家族全員写真、三角の中で10歳くらい。お母さんもお姉さんも全員揃っている。
昭和5年1月、19歳、純朴清廉な男前に見える。
昭和5年8月、慶應に入学した年の夏、鎌倉らしき所で何と水上スキー。山スキーの技術は高く、岡山県代表で国体出場した。
昭和7年3月、21歳、慶應時代とあるが、どうも卒業はしていない。東京で遊びまくったらしい。
昭和7年6月、21歳、銀座松屋ルーフ(屋上)で清水隆三郎氏と。「東京会館時代」とあるが、東京会館にどう関わっていたか不明。
スペインギターがセミプロ並みだったそうだ。白神良雄氏撮影。
昭和9年4月、23歳、酒津花見、山本美喜夫氏、大塚保男氏。白神良雄氏撮影。
昭和11年夏、六口島と百面相(芳ちゃん、オジサン、祐ちゃん、浩一)。
昭和12年10月初旬、26歳、未教育兵訓練最後の日。
昭和13年7月初旬、近くの釜島の「島の家」に海水浴。妹の和さんと友人イトサンの写真は「語らいつつ」という題名。
昭和13年秋、道後山と向島高見山。戒名に「愛山」の字あるように山登りも好きだった。
昭和13年11月5−6日、「塩上、石井、松井と湯原温泉へ」とある。悪友にしてカメラ仲間といったところか。これらの写真はいずれも石井氏撮影。
ギター、スキーに加えて、釣の達人でもあった。
鷲羽山での写真らしい。掌に大槌島を乗せたかったようだが、ずれてしまっている。
そして、しばらくして日本は大東亜戦争に突入することになる。
オジサンにも召集令状が届き一兵卒として戦った。
無事帰還したが、野戦生活が身についてしまったのか、畳の上で寝にくいと土間で寝たという話がある。
私自身がオジサンに兵隊時代の話を聞いたことがあるが、「昔のことはいいじゃないか」と取り合ってくれなかった。
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