MONTHLY WEB MAGAZINE Aug. 2013

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■■■■■近江妙蓮(みょうれん) 中山辰夫

■■滋賀県の天然記念物に指定されているハスの一種「近江妙蓮(みょうれん)」、 守山市の市花でもあります。

 

■守山市中町の近江妙蓮公園で見頃を迎えています。約800本、淡紅色の見事な花が次々と咲きます。

■■現在500品種ほどあるとされるハスの花の中で、妙蓮だけの特徴があります。 「常蓮 (じょうれん 普通のハス) との比較」です。

■常蓮は外側に8層ほどの花弁がらせん状についていて、その内側には多数のおしべ群が、そして中央にはめしべと花托があります。

妙連には、おしべ群やめしべ群、花托がありません。

■■常蓮と妙連の横断面

両方のハスのつぼみの輪切り面。妙蓮は、めしべやおしべが変化した花弁がいくつもの群に分かれまとまっています。

■ 妙蓮は、一茎につぼみは一つですが、2〜12個の大花弁群がつきます。数は開くまで分かりません。

昔の人は、一茎二花は双頭蓮、一茎三花は品字蓮、一茎四花は田字蓮・・・・一茎十二花は十二時蓮などとそれぞれに固有の名前を付け花弁群をそれぞれ一つの花とみていました。が、植物学的にはすべて一茎一花です。

■大花弁の中は、更に中花弁群,小花弁群に分かれます。最小の花弁は米粒ほどの大きさです。

花全体の花弁数は2000〜5000個ともいわれ、最低2000個以上あると確認されています。

■中花弁群〜小花弁群〜大小の花弁

■常蓮は花が散ると花托の中に蜂須ができ、種も出来ますが妙蓮は花托が無いことから蜂巣がなく、種もできず、増殖は蓮根だけで行われます。

■■近江妙蓮さまざま

■つぼみ

■開花中

■終末

■■変遷

■伝来

妙蓮は、インドから中国へ、そして日本に伝えられたとされ、三国伝来のいわれをもつ珍奇なハスです。

妙蓮を日本に運んだのは、藤原鎌足の長男・定恵上人とも慈覚大師ともいわれています。

残存する記録によると、応永11年(1406)明国から足利義満に贈られた献物の中に「瑞兆」とされている妙蓮の蓮根が含まれていたか遣明使節が持ち帰ったとされ、義満がハスの生育に適した琵琶湖の辺で育てること田中左衛門尉頼久に命じられたとあります。

そして、応永13年(1408)には義満に妙蓮が献上されたとも書かれています。

江戸時代に入ると、天皇家、将軍家、大名、寺院に献上され、平和な時代の象徴のように珍重されたとも書かれています。

■■田中家は近江源氏の流れをくむ家柄で、現当主で三十八代を数えます。

この田中家には代々「妙蓮」に関する古文書が多数伝わっており、最古の古文書は「江源日記」で、応長元年(1311)から天文23年(1554)迄244年間の出来事が記録されています。

■中国からもたらされて少なくとも600年以上の期間、田中家で守り続けられ、今日、日本で品種名が固定できるもっとも古いハスといえます。

■■ピンチもあった妙蓮

室町時代からの記録を持つ妙蓮が原因不明で、明治28(1895)年を最後に一つも花を咲かせなくなりました。

このため大正15(1926)年「大日堂並びに蓮池保勝会」を設立し再生に立ちあがりました。

昭和33年(1958)、ハスの研究者大賀一郎博士が招請され、博士による妙蓮の再生研究が開始されました。

■江戸時代に、加賀藩主が田中家の妙蓮を移植した持明院(金沢市)に咲くハスを、大賀博士宅で移植栽培して、昭和38年(1963)実に68年振りに花がつき復活しました。現在は近江妙蓮保存会が結成され、大事に育成されています。

■蓮の花は白亜紀後期(約1億年前)には地球上に繁殖し、恐竜が棲息していた時代に「蓮は誕生」を見たとされます。

そして恐竜の絶滅後今日に至るまで、その姿を太古のままに伝える極めて貴重な植物です。

人間がハスを生活の中に取入れたのは、5〜6000年前とされ、その利用法は、衣食住すべてに亘っていたようです。

■現在のハスは、花の色が赤・白系である東洋産と黄色の花を咲かせるアメリカ産の2種類に分けられます。

■■大賀ハス

昭和26年、千葉県にある東京大学検見川厚生農場内にあった落合遺跡で、丸木舟の木片が見つかり、アメリカ・シカゴ大学の研究室での検査の結果、2000年以上も昔のものと判明しました。

それと同じ地層から3粒のハスの種が発掘されました。その内、一粒が大賀博士の手により奇跡的に発芽、翌年開花しました。

大賀ハスと名づけられ、花の直径が25センチにもなる大輪のハスで、千葉県は天然記念物に指定しています。

 

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