MONTHLY WEB MAGAZINE Aug. 2013

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■■■■■ 博多湾をヨットで遊ぶ 田中康平

50年ぶりの福岡の夏をすごしている。暑い日ばかりだ。

7月の平均気温は福岡が30.0℃で全国929の観測地点中最高となった。

暑いわけだ。平年より2.8℃も高い。中国から熱気が押し寄せているようだ。

暑い時は海へ行くか山に行くか冷房の効いた美術館等どこでもいいから涼しいところへ逃げるほか無い。

そういう訳でもないがこの6月からヨットを始めている。

海の上は市街地より3−4℃は気温が低いが直射日光からは逃れるすべが無く思ったほど優雅な風情は無い、体育会系の遊びだ。

しかし体は動くうちは動かしたほうがまあ面白い。

遣隋使、遣唐使の昔から、というより縄文時代の昔からゴホウラ貝は南西諸島から全国に運ばれていたようだから帆船の歴史はその頃までに遡る。

蒸気船になる前はすべからく帆船の時代だった。博多湾に数多く浮かぶヨットの姿は形は変わるとも古代よりの姿なのだろう。

ヨットを学ぶのは全くの初めてだ。ジブセール付きのディンギー(キャビンの無いヨット、通常1−2人乗り)でタッキング(風上ターン)、ジャイビング(風下ターン)の練習をしながらコースを走っているがなかなかうまくならない。

主に使っているのは全長5m弱のシーラークという艇だ。メインシートだのジブシートだの(それぞれロープのこと)ヨットは日本には明治の初めに伝わったイギリス系の遊びだから少しくせのあるカタカナ用語で埋められている。

用語を覚えるだけで結構時間を費やす。そこには船を操る日本の伝統の残滓は見出すことができない。

ヨットで困るのは風が無くなった時だ。手持無沙汰にただただ喋っているほかない。しかし殆ど初対面の同乗者と四方山話をするそれがまた面白いようにも思えている。

こんなことは帆船の時代から同じように繰り返されてきたのだろう。こんなことに何か文字として伝わらない海の世界のかけらがあるようにも思えている。

内陸の栃木から福岡の街に戻ってきて改めて感じるのは海だった。海を巡る歴史であり、海そのものだった。

元寇の歴史、博多の港から船出した神功皇后の三韓征伐の伝説や遣唐使、遣隋使、防人。

もたらされた金印ばかりでない、稲作の文化も船で最初にこの地に大陸から伝えられている。

神社も住吉神社にしろ宗像神社にしろ志賀海神社にしろ海にまつわるものばかりだ。

しかし今に伝わる古代船の遺跡があるわけでもなく船の技術が残されているわけでもない。船を操ることの歴史はこの地では殆ど見つけることができない。

とはいえ博多湾という地形、島伝いに半島や大陸に至れるその位置、そこに吹く風、潮の流れ、それが海を行きかう歴史そのものを見るものに感じさせる。

伝わる歴史というものは文字や言葉でない変わらぬ舞台そのものということもあるのだとの気がしてくる。

穏やかな博多湾に遊びながらここに流れる長い時間を感じるのも夏の過ごし方としてはなかなかだ。

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