MONTHLY WEB MAGAZINE Sep. 2013
■■■■■ 絵を描いている 田中康平
写真をあちこちで撮っているとどうにも撮す行為ばかりが先走ってじっくり見るということが希薄になっている気がしている。被写体に相対してとにかく色んな角度から条件を変えてシャッターを下ろす、そのことばかりが気になってそのものの記憶が写真の中にしか無い状態になっているように思えてくる。野鳥の声を録音する時は必死に耳を済ませて音源に集中する、その音の響きが耳の底に焼きつく。しかし写真はどうもそれが薄い、シャッターを下ろすのは一瞬だからだろうか。
いつからかスケッチを始めた、流れていく時間が余りに速く行き過ぎてしまうと感じる時はどこでもいいから腰を下ろしてスケッチを始めることにしている。絵を描くという口実のもと同じ眺めを見続けることができる。そんな言い訳をしなければ見続けられないのは気が弱いだけかもしれないが理由はどうあれ始めてみると具合がいい。最初は鉛筆で書いていたがあるとき、多分天売島に行った時だったと思うが、鉛筆を崖の下に落としてしまってしかたなく持っていたボールペンで描き続けてみた、細かい線が引けて随分といい感じでそれ以来ボールペンで描くことにしている。
スケッチはやわらかい2Bくらいの鉛筆がいいと幼い時に教わったことを疑いも無く続けてきたのだが思えばあれはなんだったのだろう、今まで当然と思い込んできたことはとにかく一度は疑ってみるべきのようだ。
スケッチそのものは帰ってからその上に書き込むことができない、色をつけることもできない、その場の空気がそれで壊れてしまうような気がしている。しかしもう少し先へ進みたいという気持ちもあった。
これという画家の展覧会は時間が取れれば見に行くことにしていた、何人もの画家から学ぶことが多かったが、とりわけアンドリューワイエスの描き方には興味を引かれた。出来上がった絵は写真のようにリアルだが一瞬の動きを捉えてもいる。どのようにしてこのような絵が描かれたのだろうとかねがね興味があったが、ある時そのスケッチを含む製作過程が示された絵画展があった。彼が行なったのは詳細なスケッチを繰り返し対象をどの瞬間でもどの角度からでも再構築できるまでの情報を頭に入れてそのあと絵を描き始めていた。その時は最早対象を見なくともいい状態だったようだ、スケッチからの再構築による絵画、これをやってみれないだろうかと思った。
油絵の道具を買い揃えてやっと4枚描けた。一枚一枚それぞれに新たな気持ちが生まれる。最近描き上げたのは屋久島の森だ、スケッチブックからの一枚を油絵に落とした。現場のスケッチと記憶だけでは不足する、現場でかけるスケッチは現実には1枚がいいところだ、屋久島で撮った森の写真を何枚もipadで拡大しながらこれも参考にしていく。まだアンドリューワイエスには到底なれない。もっと良く見ることが必要なのだけれども。
森は描いてみると非常にたくさんの細かい線や点で満ちている、いくらでも描き続けられるような気がしてくる。細い筆が手元に無いので習字用の小筆を使ったりもしてみた。それでも線が太く思える。森はその細やかさに本質があるように思えてくる。少し理解が深まった気になる、これがいい。
次は何を油絵に落とそうか。描きためたスケッチブックをめくりながらも、次に出かけて向き合う眺めに思いをはせるのも楽しい、というよりこんな時の過ごし方全体が楽しいのかもしれない。
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