MONTHLY WEB MAGAZINE Oct. 2013

Top page Back number


■■■■■ 琵琶湖湖上を行く—葛籠尾崎(づづらおざき)湖底遺跡の報告 中山辰夫

琵琶湖周辺には約90ケ所の湖底遺跡があります。これらの遺跡のほとんどは、水深1~5mと比較的に浅い所にあります。

1924(大正13年)の冬、尾上(おのえ)の漁師父子が葛籠尾崎沖でイサザ網漁をしていたところ、いつもとは違った重い手ごたえを感じ、ゆっくり時間をかけて綱を引き寄せると得体のしれない獲物が・・・。期待と不安の思いで網を覗き込むと何か大きなかたまりのようなものが大小数個、土器でした。これが葛籠尾崎湖底遺跡発見のスタートであるとともに、琵琶湖の湖底遺跡研究の端緒となりました。

漁場である竹生島から葛籠尾崎にかけての水域は琵琶湖の中でも最も深い所とされ100m近い所も多く、湖が荒れると三角波をかぶって漁船は転覆し、湖の藻屑となる漁師があとを絶たなかった。従いこの周辺に絡む伝説・伝承は数えきれなく多い。この伝説と神秘な境域で引き揚げられた獲物は疑心暗鬼のうちに村へ運ばれました。

その後次々と引き上げられた土器類は、縄文時代から平安時代の長期に及ぶもので、数千年の時を越えて、現代人の前にその姿を現しました。しかもほぼ完全な形のままで、葛籠尾崎東沖の水深10m~70m付近の湖底に沈んでいたことが判明しました。

発見された遺跡は、世界的に見ても他に類を見ない水中深さにある遺跡であり、その成因は種々挙げられていますが、いまだ定説には至っておりません。

神秘のベールに包まれた、まさに琵琶湖湖底遺跡の代表と呼ぶべき存在です。今回はその現場域へ行きます。

葛籠尾崎湖底遺跡資料館で見る出土品

ここには縄文土器、弥生土器、土師器、摩製石斧、鹿角など縄文・弥生・奈良・平安時代の出土した遺物が展示されています。9000年の長期間にわたる遺物です。「C−14法による」

土器には湖成鉄が部分的に付着し黒ずんでいるがほとんどが完成品。線模様も見え、遺物の美しいつくりに時代を忘れて見惚れます。

出土した縄文土器

今回は湖上タクシー(小型漁船を改造した舟)で尾上港から葛籠尾崎沖へ向かいました。

快晴で、風もなく、湖面は穏やかで静かでした。多くの文学作品に表現されているような厳しさは感じられなかった。「澄んだ色だこと。水に濡れたら青にそまりそう」とまでゆかなくても、湖は真青だった。湖底は神秘のベールに包まれたままだった。

遺物が引き揚げられた現場域に停泊し、引き揚げられた土器を手にしてじっくり見る。今なお深い湖底に眠る土器類に思いをはせる。

宝厳寺の裏側あたりの竹生島

葛籠尾崎沖から眺める霊島・竹生島は全島鬱蒼たる緑樹に包まれ、そこには峻厳さと原始性が漂っている。太古より島は湖神の常住するところとされてきた。

湖北から、竹生島を参籠するには、塩津、菅浦、尾上、今津から舟を用いた。

漁師が骨壺と思いはじめて持ち込んだ地元の相頓寺。その寺の長男で、当時15才であった小江(おえ)慶雄氏(元京都教育大学学長)が、その後の調査に当たり、引き揚げられた遺物の一括保管などにも尽力され今日に至っている。小江氏は日本の水中考古学の第一人者として幅広く貢献された。

(尾上・他についての詳細については、別掲載する予定です。」

これからの舟の行く先は中世史に有名なかくれ里・菅浦です。湖上からの訪問ははじめてです。

   All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中