Monthly Web Magazine Feb. 2014
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トピックス
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■■■■■ 雪の奈良 大野木康夫
2月8日(土)、正倉院正倉整備工事第5回現場公開の2日目に当選したので奈良に行きました。
車で行く予定をしていましたが、前日夜から雪が積もっており、家族が反対したので電車で行くことにしました。
山科駅〜近鉄の車窓風景
当選した公開時間は12時ですが、奈良には10時頃着いたので、いつものコースで文化財建造物を回りました。
東向商店街を通って興福寺北円堂〜三重塔〜南円堂〜五重塔〜東金堂〜大湯屋
春日大社一の鳥居〜旧春日大社板倉(円窓)〜旧奈良県物産陳列所
途中で鹿も撮影しました。
雪の若草山遠景〜南大門〜大仏殿(中門、東西廻廊、東西楽門)
大仏殿で時間を取りすぎてここからは急ぎ加減になりました。
鐘楼〜念仏堂〜手向山神社宝庫〜法華堂経庫〜手向山神社境内者住吉神社本殿
四月堂〜法華堂(手水屋、北門)〜開山堂
二月堂(閼伽井屋、参籠所、仏餉屋)〜大湯屋〜後ろ向きの鹿
もう時間も無くなって駆け足の撮影です。
なんとか受付時間の少し前に正倉院受付に到着し、約1時間の現場見学を楽しみました。
1時前に見学が終わり、少しでも雪が残っている可能性がある浄瑠璃寺に行くことにしました。
浄瑠璃寺行きのバスは急行で、近鉄奈良を出ると市内のバス停には止まりません。
発車時刻は13時11分、バス停は東大寺から一番遠い高天交差点の北なので、雨の中を走って行ってなんとか間に合いました。
浄瑠璃寺は、庭園の整備工事が続いていましたが、少し雪も残っており、落葉で建物も少しよく見えるようになっていました。
京都に帰ると雪がすっかり消えていましたが、山科の我が家の周辺では屋根に少し残っていました。
その晩、関東は大雪で大変なことになっていましたが。
今回はカジュアルな紀行記事です。
1月の索引にある静岡愛知の旅は、文学(高山樗牛)、歴史(桶狭間)、和服(絞り染め)などのマニアには興味深い内容です。
一方、1月末の伊豆の旅は、いつものストイックな撮影を忘れて、なるべく一般観光客と同じに、とにかく「のんびり」と。
通常の優先順位とは逆に、1.温泉 2.おいしい食事 3.美しい花と風景
です。そして、今回は4.文化財収録 はお休み、のはずだったのですが、、、
まずは土曜日、東名で三島に降り立ちますが、Japan Geographicの流儀が骨の髄まで染み込んでいるので、文化財などがあると立ち寄りたくなります。
今回の趣旨と全然違うのだけれど、せっかくの通り道だから、と言い訳して。
昨今話題の地震関連でマニアックな寄り道を企てます。国天然記念物の丹那断層は雪の恐れがあるので今回はパス。
最初の立ち寄り地は伊豆長岡、江間の地震動の擦痕です。
ここは北条義時(江間小四郎)の屋敷跡でもあり、いきなり魚雷の擦り傷とは、地理の学習といえどもかなりマニアックです。
続いて駿河湾に出ます。三津の淡島付近で偶然大漁旗を飾った船が通り過ぎます。
地元の人によると、新造船のお披露目だそうで、港に着いたら華々しく餅撒きが始まりました。
この付近ではここしばらく新造船が無く、今後もないだろうとのことで、珍しいものを見せていただきました。
まあ、これは今回の趣旨に合っているかな。
その後は定番の大瀬崎、井田、戸田、田子と西伊豆を南下していきます。
田子は2010年の1月に「月の入り」を撮影した場所です。
その時は漁師さんに勧められ、身が凍る寒さの深夜から朝にかけて月が駿河湾に沈む光景を撮影しましたが、幻想的で素晴らしい情景でした。
朝まで浜辺に立ち尽くす姿はかなり怪しかったかな。
今回はどんよりとした天気だったので、道草せずどんどん進みます。
堂ケ島は大荒れの波で観光どころではありません。以前のような美しい夕景も期待できず、今回はパスです。
松崎に入ると海鼠壁の建物に癒されます。
今回は旧伊豆文の建物を見学させていただきました。百年以上経った建物ですがしっかりしています。
地元のおばちゃんが丁寧に花を活けていらっしゃいました。
昔話を伺っていると、というか、私があれこれ質問するものだから、話が弾んでお互い時間を忘れます。
結局ここでタイムアップとなり、その後の西伊豆海岸ルートは取りやめて、婆娑羅峠を越えて下田の宿に直行します。
宿は、かつて御番所で賑わっていた大浦に建っています。
立地は申し分なく、既に暗くなっていますから、それなりに立派?に見えます。
温泉有り、食べ放題、飲み放題で一人6800円。財布にやさしい宿です。
翌日の日曜日は下田の探索です。いつもの癖で、周囲の文化財をチェックしている自分がいます。
ペリーロード沿いの街並を観光客モードで一通り楽しみ、国史跡の了仙寺へ。
それから日露和親条約が締結された長楽寺を経て下田の街中を探訪します。
江戸末期の津波で壊滅的な被害を受けた下田は跡形もなく復興していますが、次回の津波が気になります。
もう一つ気になるのは国登録文化財の旧南豆製氷所です。
取り壊されそうになっていたものを地元の有志が買い取り、登録文化財になったまでは良かったのですが、耐震工事の資金が捻出できず、今度こそ解体の瀬戸際です。
その内部はもう二度と見れないのではないかと、開いていた入口から撮影させてもらいました。
下田でも観光客モードを逸脱してしまいました。
その後、爪木崎で本物の観光のはずが、習い性で、文化財に指定された柱状節理や御子元島灯台の撮影に没頭します。
エメラルド色の海とスイセンやアロエの花は、それはそれで良いのですが、記念写真を撮るムードにはなれませんでした。
結局、1.温泉=Yes、2.おいしい食事=??、3.美しい花=Yesでしたが、今回も4.の文化財(教材)を収集することが主体の旅で終わりました。
肝心な教科書作りや教育映画作りは時間の余裕が無くてまだ手つかずです。
手伝ってくださる方は大歓迎です。百万点の素材が見放題ですよ。
ん? 見たくない? そうですか。
以前の自分もそうでしたが、文化財訪問は百か所目あたりが"Point of no return"で、以後は楽しさがどんどん加速して、脳みそが中毒になり、はまります。
そのメカニズムはこちら。
最近の身近な動きの一つです。
滋賀県立安土城考古博物館では、2013年夏季特別典「華麗なる漁と美味なる食」に関連し、琵琶湖の魚料理の魅力を発信するため、パンフレットに掲載された料理から、「美味しそう」「美味かった」「食べてみたい」料理を八種類選んでハガキで人気投票を受け付けたところ、3350人からの応募があったようです。
集計結果は、「うな丼」「アユの塩焼き」に関心が高く、「シジミの味噌汁」と続き、「コアユのてんぷら」「シジミ御飯」「ふなずし」となり、「エビ豆」「コイの造り」「うな重」
となり、「ビワマスの握り」までが上位10位でした。県内・外の男女別、年齢別、料理法別に分析されました。全体としては馴染みの薄さがクローズアップされました。
琵琶湖八珍投票結果
アンケート結果を参考に、琵琶湖の固有種など代表的な湖魚を郷土料理の食材として①ビワマス ②ハス ③コアユ ④ニゴロブナ ⑤ホンモロコ ⑥ウロリ(ビワヨシノボリ) ⑦スジエビ ⑧イサザ8種類が選定されました。
選定された8種の魚(ウイキペデイア及び琵琶湖博物館HPより引用)
選定された食材を実際に味わうツア—が計五回計画され、酒蔵や水郷、離島や船上フォーラムなど趣向を凝らし、観光資源に食の活用を図る目的で開催される。
ツアーでは、専門員より魚の生態や漁法、料理法の解説を受けた後、料亭やホテルで実際に料理を食します。
第一回目は、「寒中の琵琶湖八珍を味わう」企画で、「老舗・藤居本家」の酒造蔵を廻りました。ここでは新酒の試飲を楽しみました。また、国登録文化財である建屋などの雪景色も鑑賞できました。
料理は「竹平楼」
ここも老舗で、明治天皇の御座所や大広間は国登録文化財です。
ここの雪景色も滅多に見られません
今日のお料理は、八珍の2品種、イサザ、ホンモロコの料理でした。竹平楼自慢の料理は「鯉のあめ煮」で、さすがの味でした。
お料理と蔵元からの差入れ
新聞の関連記事(朝日新聞 2014−01−04)
昨年末から魚を使った料理を戴く機会が多く、楽しい面ばかりでワクワクしております。
琵琶湖の魚を食べることが琵琶湖の環境保全にもつながり、1400万人が頼る琵琶湖の水が維持され、継承されることにもつながると合点しております。
■■■■■ ガラクタ・コレクション 野崎順次
わが本箱の上に東南アジア製とおぼしき楕円形の木の皿があって、その中に、ごちゃごちゃと石らしきものが入っている。横にはトゲトゲの枝が立てかけてある。コレクションというほどのものではないが、それらしく解説してみる。
新石器時代のアックスヘッド(手斧)
130 x 65 x 33mm
大英博物館の近くの骨董屋で38英ポンドだった。年代はBC3000からBC5000、フリント(火打石)製で、出所はフランスの個人コレクターとある。バスケット関係の飲み会で若手の間に回して戻ってきたら、角が欠けていた。何かに切り付けて試したのだろう。それくらいで欠けるのは偽物の証拠。
阿寒貝化石
130 x 130mm
北海道阿寒町にブライオゾーア(苔虫類)化石の鉱床がある。その中に散在する高橋貝の化石である。これらを粉砕したものは、有機カルシウムなど高品質ミネラルを有し、肥料、飼料として非常に有用である。その他、消臭、調湿、遠赤外線効果が高いとされる。
サンゴ石
135 x 75 x 50mm
よく覚えていないが、倉敷市児島の田舎家に転がっていたのでは。
小動物の頭骨
85 x 70 x 160mm
新婚旅行で南西諸島に行ったとき、奄美大島の浜で拾った骨。「Honey Moon to Amami, 1969」と書いてある。
オーストラリアの赤い礫岩
60 x 70 x 45mm
パースの郊外で赤い石と赤い砂で地面が真っ赤という場所があり、そこで拾った。
飛行機から見ても、オーストラリア西部の多くは赤い。
オーストラリアのトゲトゲ枝
パースの公園で拾った。見たこともない樹木で、枝が枯れると落ちてくる。トゲトゲは非常に鋭くて固い。素手では持てないくらいなので、非常に危険である。実際、撮影しているときに親指に刺さって血が出た。
北海道静内縄文土器破片
75 x 50mm から 45 x 40mm
札幌の友人が幼いときに現地で拾ったもの。いくらでも落ちていたという。特殊透明塗料で表面を安定化処理したので、少し濡れ色になっている。
ロンドン赤色舗装の赤いプレコートチップ
20mm級
ロンドンのバッキングパレスの前にザ・モールという儀式用の通りがある。赤いアスファルト舗装で、アスファルトに赤色顔料を混ぜ、その上から赤色の砕石を散布して転圧されている。散布する砕石をプレコートチップという。10年くらい前の改修工事での残りを英国の友人からもらった。
ネパール産 アンモナイト ノジュール(団塊)状化石
90 x 100 x 55mm
ヒマラヤ山中、ネパール川の河原で採取される。どうしてノジュールになるのかよく分かっていないそうだ。息子が東南アジアに行った時の土産で、偽物ではないかと聞くと、偽物を作るほど技術の高い地域ではないので本物だと云っていた。
■■■■■ 冬鳥 田中康平
今年の冬は鳥が少ないと何人かから聞かされた。
確かに去年の冬はレンジャクの群れを福岡市の南にある公園で見たりもしてバラエティに富んだ印象があった。
今年はそんな華やいだ雰囲気が無い。
冬に福岡でよく出現するという頭の黄色いミヤマホオジロもまだしっかりとは見ていない。ツグミも随分少ない。
近くの油山で野鳥観察ボランティアというのをやっているが観察会があって大勢集まっても鳥を探すのが一苦労だ。
しかし今年多い鳥も中にはいる。アトリだ。シベリアで夏を過ごし冬は日本でやり過ごす、所謂冬鳥だ。
あとりという名前は古くからの和名で大群を作ることがあることから集鳥(あつとり)がなまってあとりになったとする説が有力のようだ。
万葉集、日本書紀にも登場している。あとりは多い年と少ない年が波状的に来るような気がしている。
今年は当たり年で近くの油山でも100羽くらいの群れを間近で見たりもしている、綺麗な鳥だ。数年前日光の山中でアトリの大群に出会ったこともある。
まさに雨のように降ってくるアトリに呆然と見入っていた、というよりぼとぼとと地面に降りる音に聞き入っていたというべきかも知れない、見たことも無い大群だった。
今年は自宅近くの日本庭園、松風園でも石灯籠の上でのんびりしているのを見かけたりともかくあちこちで出くわす。
何故年によって鳥によってこうもばらつくのか、定かではないが、多分気温と食物によっているのだろうと思っている。
今年の冬は少なくも1月までは北の北海道では例年より寒さが厳しく南の福岡ではやや暖冬気味だった。
いつも渡って来る場所の気温がいつもとは違うところが多かったのだろう、また、木や草の実の付き具合いも場所によって例年とは違っているのだろう。
冬鳥を見ていると、餌、水、そればかりを必死に探しているように見える。
動き回る鳥を見ているとこれが自然災害を逃れ子孫を残す究極の方法かもしれないと思えてくる。
場所を変えていけば温暖化が進んでも怖いことはない、勿論津波が来ても直ぐに逃げおおせる、環境が変わればそれに応じて転々と生きる場所を変えていけばいい。
恐竜が姿を変えたのが鳥といわれる。今後数億年は続くかもしれない人類の時代も結局は恐竜の末路のようにこだわりの無い生き方に変身しなければ生き残れないのかもしれない。
そんなこともあって人は旅が好きなのだろうか、そうも考えてしまう。冬は続く。
関東の平地に30cmを超える雪がふりました。
降り始めはこんな感じで
道路に薄っすら積もり始めた雪が、一夜明けると
新聞配達人もバイクでは郵便受けに近づけず、雪かき状態での配達をしたようです。
早速、早朝にカメラ片手に近所を歩いてみました。
車も雪に埋まり、車の周りの雪が多く、除雪せずには動かせません。家の屋根の雪は関東でなく雪国です。
久しぶりにこんなに大量の雪を見ました。
昨晩は雪と同時に強風が吹き、木々の枝についた雪は少なめでしたが、それでも普段見られない雪の造形を見ることができました。
近くの利根川の堤防に出てみました。
雪原の先に見えるのは筑波山です。こんな景色もめったに見ることができません。
堤防の上は強風が吹きまくり、激しい寒さですぐに引き返しました。
利根川に掛かる橋を一台の通る車もなく、風だけが吹きぬけます。
クランドもそれに続く家々も雪に埋まってます。つららの下がっている屋根まであり、寒さも厳しかったようです。
さあ、これからが大変です。玄関先から駐車場、家の前の道路まで雪かきをしなければなりません。
骨折した足を抱えて頑張れるでしょうか。冷えると足が痛むのです。
あっ、家内が呼んでいます。午前中は雪かきです。
(東京都墨田区で見つけた貼紙)
墨田区で見つけた看板……というか貼紙です。
いつも看板を探して上ばかり見ていますが、ふと足元を見たらこのようなものがありました。
解雇された人々がどこかに向かっているような、何かに急いでいく人々が詰ってしまってあせっているような、満員電車に無理やり乗るようなおかしさがありました。
良くみると靴はREGALです。
もし本物でしたら一足2万はするでしょう。
これだけ捨てたら10万以上。
特に古くも無いのなぜ捨てたのでしょうか?
看板探しも忘れて腕組みをしてしまいました。
たとえば、会社ではやり手だけど浮気性の夫に腹を立てた奥さんが、靴を全部捨てて「クッツタレ!」と毒舌を吐いた……。
高額宝くじに当選してREGALよりも良い靴、銀座よしのやで木型を作ってもらって世界に一つだけの自分の靴を一足10万以上で買う身分になれた……。
海外で買ってきたら実は偽物で、そこに穴が開いて水がしみて愛用のGAPの靴下にすぐ穴が開くので靴を捨てた……
などなど考えておかしくなりましたが、道行く人は私がこの靴を拾おうかどうしようかと迷っているようにみえたのかもしれません(笑)。
ちょっと恥ずかしかったか。
ごみを捨てる方法も焼却炉の性能やダイオキシンの問題で、自治体によってずい分と扱いも違ってきています。
近畿圏の義姉の家は氏名入りゴミ袋です。
そして生ごみにちょっとでも発泡スチロールやビニールが混入すると持っていってもらえないばかりか、その場で開封してみても良いルールだそうです。
義姉は「かなわんでぇ」とぼやいていました。
愛知県に住んでいた子どもの頃、家の脇に生ごみを埋めるために大きな穴が掘ってあり、そこは「たまや」と呼ばれていました。
祖母に「このごみをたまやに捨ててりゃぁ」と言われたことを思い出しました。
「たまや」に貯められた生ごみは堆肥になったのでしょうね。
私の住んでいたところは尾張弁でしたが、出雲弁のなかにも「たまや」というのがあって、やはりゴミ捨て場のことだそうです。
分別方法を間違えられた靴たちはちゃんと「たまや」に収まったのかしら。
そして何か違うものに命を変えて貰えていたらステキなのにね、と思います。
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Japan Geographic Web Magazine
https://JAPAN GEOGRAPHIC/
Editor Yuki Takiyama
yuki at .jp (Replace at to @)
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