Monthly Web Magazine Apr. 2014
昔から「比良八講」が終われば春と言われてきました。
「比良八講」が営まれる3月下旬には、比良山から激しく吹きすさぶ季節風もこの頃を最後におさまり、いよいよ春本番の到来で、 関西では、「比良八荒、荒れじまい」といわれ「奈良東大寺のお水取り」と並んで春を表す季語として親しまれています。
「比良八講」は3月26日に延暦寺の僧侶や修験者らが、関西の水がめである琵琶湖への報恩と、その水源である比良山系の保全・水難者回向と湖上安全や水質浄化の祈願を捧げる法要です。
1955(昭和30)年、比叡山千日回峰行者である故箱崎文応大阿闍梨により再興されました。
この日は菅原道真の命日で、その法楽として白髭神社比良明神で比叡山の宗徒が法華経8巻を4日間で読誦して供養したのが、比良八講の起こりとされています。
春先になると比良山と琵琶湖の気温差から、山麓一帯に強い北西の季節風が吹き、琵琶湖は大しけとなる。
この自然現象をいつしか「比良発荒、荒れ仕舞い」と呼び、人々は長い冬の終わりと、待ちわびた春の訪れを甘受してきました。
悲恋の伝説「比良発荒」も、この気象を背景に作られ語り継がれています。
この法要の様子を紹介します。
比良八講の行事は、安全祈願祭(日吉大社西本宮)と修三会(お水取り 比良・打見山山上延法寺)が前もって執り行われ、比叡山の守護神である山王権現に対して法会の無事成就を祈願することから始まります。
■■スタートは長等の本福寺です。
本福寺の集会場に集まった大阿闍梨(だいあじゃり)や山伏姿の修験者・稚児娘・信者、総数50人ほどが、午前9時前に本福寺を出発、長等の商店街など約1kmを「ヴォー」と法螺貝の音を響かせながら練り歩きました。
■■一行を待つ大津港の広場、一行の到着、桟橋抱擁は、降雨により広場内で行われました。小林大僧正を導師に湖上交通の安全を祈願されました。
■客船ビアンカに乗船
参拝者約250名と一緒に乗船。雨のせいか今年の参拝者は例年より少なかったようです。
■■船内法要
出港後すぐに法要が始まりました。
■二階船首では天台座主はじめ比叡山一山の僧による施餓鬼法要(光明供)が営まれ、三階船尾では山伏姿の行者による水難者慰霊や、湖上の安全・湖水浄化の祈願が行われました。(以降も含め行事は降雨のため船内で実施されました)
■■湖上法要
■修三会法水散布
船尾甲板において琵琶湖の浄水祈願ならびに湖上安全祈願(不動供)が営まれました。この時、比良山から取水した「法水」を湖上に注がれました。
■紙塔婆(かみとうば)
戒名が書かれた短冊が湖上にまかれ、水難者や参拝者の先祖の回向が行われました。
悲恋の伝説「比良八荒」
比良八荒にボンボリを持った稚児娘が参加するのには、灯明を見失い遭難した娘の念を慰める願いが込められています。
■■採燈大護摩供
■船旅は約2時間で近江舞子桟橋に到着しました。ここで下船。お練り行列が中浜(雄松崎)を目指しました。
■途中、舞子観音像前で法要が行われました。湖上祈願と湖で犠牲になられた方々の供養です。
雄松崎の砂浜では子ども達による太鼓が出迎えてくれました。地元の主婦による屋台も開かれていました。
■中浜に到着した行列一行は、最初に黒松の植樹をしました。僧侶・稚児娘も加わりました。娘さん、突然の指名でビックリ!
■護摩祭壇の前での法要が終わると山伏さん達の護摩供養が始まり、問答から弓、刀、松明の順に儀式が進み、護摩壇に点火されると次々と護摩木が投げ入れられました。
参拝者は酒井大阿闍梨から御加持を受け、無病息災を祈りました。法要の終わりです。
参拝の皆さんは、浜辺で風と雨に打たれながらも、最後まで行者たちの動きを熱心に見つめ拝んでおられました。晴天であればよかった・・・・・。
参考資料 (配布パンフレット)
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