Monthly Web Magazine July 2014
会社のあるビルの地下2階にいろいろな小物を委託販売する店がある。ガラス張りの棚を約40㎝立方角に区切り、売りたいものが並べられている。「レンタルボックス」というそうな。品質や価格を客観的に証明する書類も専門家もいないので、疑わしい品も少なくない。買うときには「委託品ですから返品できませんが、それでいいでしょうか。」と念を押される。これまで買ったものは、プラスチックの怪物人形(孫への土産)、ボールペン、イヤーフォン、充電式電池セット、レトルト食品セット(孫への土産)などで、だまされたのはボールペンだけだった。有名ブランドのボールペンだが、箱と中身のグレードが違った。
今回は立派な大型双眼鏡である。ブランドは何とあの高級スイス時計の「OMEGA」で、 30 x 50とあるから倍率は30倍である。実際に手に取って視度を調整して見ると、像にゆがみもなく鮮明である。それで値段は僅か3,800円(税込)である。通常、常識的に考えて、新品なら10万円でもおかしくない。昔から私は望遠鏡が好きで、天体望遠鏡、双眼鏡、単眼
鏡を少なからず所有し、少なからず体験している(と、自負している)。ケースとバンドが安っぽいが年数が経っているからだろうと、自分に言い聞かせた。
だまされてもいいから、買おう。だまされてもいい話題になる。と、買ったら、だまされた。
実に見事に「パッチもん(関西でいう安い偽物の商品)」であった。時計のオメガは双眼鏡を作っていない。この「OMEGA」は、戦後東京の板橋に集まっていた零細光学屋がでっちあげたブランドらしい。また、倍率はどう見てもせいぜい7倍である。もっとも、その方が安定して見られるからいいのだけれど。
板橋区の光学産業の歴史をたどってみた。双眼鏡など軍事用光学機器の国産化が急務となり、昭和8年に東京光学機械株式会社の本社工場が板橋区に移転した。これが板橋区の光学産業の始まりである。昭和14年には陸軍の要請に応えて、双眼鏡をより多く生産するための企業グループ「陸軍八光会」が組織された。その多くの工場が板橋区にあった。
第二次世界大戦後、双眼鏡や光学兵器を製造していた企業はいったん閉鎖された。しかし、そのノウハウを持つ元従業員や復員してきた兵士らが板橋区に集まり、それぞれが小さな会社を立ち上げ、民需用の光学製品の製造に着手した。双眼鏡で標準的なものは7ⅹ50で品質の上昇と安定化に伴い、大半がアメリカに輸出されるようになった。ブランドは販売先のものが多かったが、板橋独自のものも生まれ、その一つが「OMEGA」である。
戦後の輸出に大活躍した双眼鏡だと思うと、少し見直すことにした。
参考資料
小田透「私のカメラと双眼鏡」ウェブサイト
板橋区の光学産業