Monthly Web Magazine September 2014
新聞に紹介される地元の情報にビックリすることがあります。8月末、「翦風号 100年前思いはせ」という記事に出会いました。(京都新聞、ほか)
100年前に東近江市沖野ケ原でプロペラ飛行機「翦風号」が空を飛んだことを記念する企画展が、博物館「探検の殿堂」で開かれ、市民が設計図を基に復元した飛行機の原寸模型や当時の写真を展示し紹介しているとありました。
米国のライト兄弟が世界初の動力飛行に成功してから11年後の出来事、飛行機熱が沸騰していたころで、大変な関心を集めたようです。
1913(大正2)年、当地の荻田常三郎氏(当時28歳)という、飛行機に魅せられた人が、家業を投げ出し、自費でフランスに渡りモラ−ン・ソルニエ飛行学校で8ケ月間、飛行機操縦術を学び、自費で購入したモラーン・ソルニエ式80馬力単葉機と共に帰国。翌年6月西宮市・鳴尾競馬場で行われた飛行大会で高度2003mまで飛び、さらに京都・深草練兵場でも強風の中で飛び立ち、伏見宮殿下から「翦風号」という名を頂いたとあります。(翦風・せんぷうは風を切るという意味)
1914(大正3)年10月の郷里訪問飛行では、数万人が見守る中、12分45秒の往復飛行を成功させました。当日の沖野ケ原には、小・中学校だけでも45校6千余名が駆け付けたようです。どの会場でも始めてみる飛ぶ飛行機の姿に興奮が起こり、子供たちに大きな夢を与えたようです。
翦風号は、木製布張りで全長約6.5m、幅9.3mの二人乗り。復元されたものを見てもこれが飛んだとはピーンときませんでした。
翦風号の飛行後、県や地元に様々な動きを引き起こしました。荻田氏は東京〜大阪間飛行の離陸直後に事故死されました。荻田常三郎氏や翦風号を受け継いだ「熊木九兵衛氏」およびその関連の内容はインターネットに詳しく投稿されているので省きます。
八日市の延命公園に建つ荻田氏の顕彰碑。
八日市は100畳〜200畳の大凧揚げで有名です。かつて沖野ケ原もその会場に使われたことがあります。
八日市の大凧揚げは、300年以上も昔の江戸時代中頃からの伝統行事で今に続いています。この地域はもともと空への関心が強い所といえます。
企画展の会場、博物館「探検の殿堂」は、第1次南極観測隊の越冬隊長として活躍した故西堀榮三郎氏の偉業をはじめ、近代日本人探検家を顕彰する施設として約20年前に開館されました。日本中が興奮のルツボにはまった「南極物語」が1983(昭和58)年に公開された10年後です。
博物館のある湖東町横溝は、西堀氏の祖父・西堀清兵衛氏の出身地で、京都に出て、丁稚奉公からスタートし、西堀商店をおこし、チリメン製造販売を行って大成した近江商人です。宮内庁に納めるチリメンでは最高級品だったようです。栄三郎氏も伝記に近江商人の血筋と書かれています。
1903(明治36)年生まれの西堀少年が11歳の頃、兄に誘われて行った「白瀬中尉の南極探検報告」を聞いて、南極に対して憧れ=夢を持ったと言われています。丁度この頃「翦風号」と荻田氏との出会いもあったことが伝記に書かれています。以後飛行機にも関心を持ち、影響を受けた一人だったのです。
小さなニュースから忘れていた記憶を取り戻し、知らなかった情報をたどる喜び・少年たちに夢を与える事の重要性に接しました。
ジャパンジオグラフィックの活動も若い人たちが夢をもつひとつの切り口になればと願っています。