Monthly Web Magazine September 2014

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■■■■■ JR尼崎駅前の高潮標 野崎順次 

JR尼崎駅前にステンレスの角材でできたポールがある。高さは約3.3mで、説明板があり、「高潮標 この高潮標は、室戸台風(昭和9年9月21日)とジェーン台風(昭和25年9月3日)の高潮により、尼崎市が大きな被害を受けた時のもっとも高かった海面の水位を示しています。」とある。標識の高い方には「昭和9年室戸台風 最高水位 OP+5.10m」、低い方には「昭和25年ジェーン台風 最高水位 OP+4.30m」と書かれ、それぞれ海面がその高さに達したわけである。家でいえば、海水が2階の床までとか、1階の天井まで来たわけで、3.11で東北を襲った津波ほどではないが、人口密集地域に大変な被害をもたらしたことは想像できる。

さて、OPとはオランダ語のOsaka Peilの略字で、「大阪湾最低潮位」のこと、すなわち引き潮時の海面の最低レベルである。最低レベルを基準として、港湾や河川が管理されている。ちなみに、TP(Tokyo Peil)というのもあるが、これは「東京湾平均海面」で標高の原点にもなっている。OP=TP+1.3mという関係にあるが、最低値と平均値の差であって、大阪湾の水位が東京湾より1.3m高いという意味ではない。

津波と高潮は共に水害をもたらすが、異なる現象である。津波は地震などに起因する海底地形の急変による大規模な波の伝播現象である。高潮は、気圧の低下、強風により海水の吹き寄せによる海水面の上昇で、満潮が重なるとさらにひどくなる。さらにこれらの効果は、遠浅の海が入り込む湾のような地形では最も顕著に表れる。

昭和9年の室戸台風は室戸岬付近に上陸してから、現在の神戸市東灘区に再上陸した。最低気圧911.9hPa、最大瞬間風速60m/sなどで記録的数値を残し、京阪神に甚大な被害をもたらした。死者、行方不明者は約三千人に及ぶ。大阪府の被害が大きかったが、尼崎市でも市域の3分の2が浸水し、所によっては3mを越えた。尼崎市の大被害の原因の一つは、工場用水汲み上げによる地盤沈下であった。

昭和25年のジェーン台風は最低気圧964.3hPa、最大瞬間風速48m/s で、阪神間を直撃して、室戸台風並みの被害をもたらした。尼崎市でも3m余の高波が押し寄せ、阪神国道(国道2号線)以南が冠水した。

その後、防潮堤の建設が進み高潮の被害が激減した。防潮堤の高さはOP(大阪湾最低潮位)+6〜7mに設定され、幅5〜9mで、西の武庫川河口から海岸線を伝い、東の神崎川西岸に至る総延長12.4kmである。

最後に台風の話を追加したい。私は昭和21年に生まれてから、ずっと尼崎市北部に住んでいる。昭和25年のジェーン台風の記憶は幼すぎてない。最も強烈に覚えているのは、昭和36年の第二室戸台風である。阪神間を直撃し、台風の目が自宅の直上を通過した。当時、私は高校一年生だった。学校は休みで家にいたが、突然、激しい風雨が止んで、青空が見えた。台風の目だ。その後、風雨が再開した。翌日、学校に行くと、体育館の屋根が吹き飛んで、フロアが水浸しになり、バスケットボール部の練習が中止になった。練習はきつかったので、中止になって、とても嬉しかった。そのかわり、フロアの雑巾がけをさせられたが、練習に比べたら、どうってことなかった。

参考文献

Web版尼崎地域史辞典「apedia」

ウィキペディア「大阪湾最低潮位」

ウィキディア「第二室戸台風

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