Monthly Web Magazine Jan. 2015
今月は私的な内容です。年明けと同時に後期高齢者の仲間入り。今の所、並み以上に心身とも健常を保ち、納得の日々を過ごせ喜んでおります。
新年早々からいい被写体にも巡りあい、張り切っております。
豊国神社・京都国立博物館・三十三間堂南大門・大宝神社・宇和宮神社
現役を引退して早くも13年目を迎えます。仕事一筋?で趣味もなく、余った時間をどう過ごすかと迷いつつ、1−2年を経てから地元・滋賀の見直しを始めました。
幸い、滋賀は歴史・文化財の宝庫です。訪れる場所には事欠きません。目的もなく歩いておりました。
暫くして、安土城跡や観音寺城跡(繖山 きぬがさやま)を訪れた際に、その石段・石積みに魅かれ、その後は他府県も含め登りました。
石積の山・繖山(別名・観音寺山)から見た安土山と琵琶湖。石段・石積の虜にした安土城跡・観音寺城跡・安楽律院 (石積は県内に多い)。
コンデジで写した石段の、良し悪しのわからない写真もA4サイズで見ると迫力を感じます。
かなりの枚数が貯まった頃、階段システム研究所の阿部寧氏(東京)を知り、階段=石段と合点し、写真のファイルを見て頂きました。
ご覧になった阿部氏から、隔月月刊誌・『庭』編集者の豊蔵均氏(現在は代表者)を紹介頂き、『日本の石造文化』というタイトルで一年間の連載を任されました。正に青天の霹靂でした。当時の写真や文章は出鱈目で、特に文章については、阿部先生に大変な苦労をお掛けしたと今になって頭の下がる思いです。これが勢いともなって、連載1年後からさらに歩き続けました。
その2〜3年後に、朝日新聞で紹介された瀧山さんの『日本一の旅、日本一の石段』を知り、早速ご連絡を取らせて頂き、2009年4月から仲間に入れて頂きました。
【求めれば与えられる】の言葉通りに、「出合い」が新しい世界へ導いてくれた結果、現在があると確信しております。
はじめて出会う場所や文化財を見・聞きする感激は、瀧山さんが『街並』に記されていると同じで、その歴史・背景をも調べたくなります。
まだまだ訪れていない所ばかりと、外へ外へと気持ちを追い立たててくれます。
今の私にとってジャパン・ジオグラフィックは欠かせない存在で、生き甲斐でもあります。ここに導いて下さった方々と「石段・石積」にはいつも感謝しております。
残念なことは、もう一度再訪したいと思う遠距離の場所に行けないことです。もう一度同じ場所を撮影したい気持ちで一杯です。
2−3年前に行っておけばと後悔しております。行けない場所は、他のメンバーさんの投稿内容で楽しませて頂こうと、これもまた嬉しい事です。
年のはじめに、端緒となったファイルを取り出し見直して、石段から元気をもらいました。勝手ですが、懐かしい古写真を並べさせて頂きます。
羽黒山参道。2446段の石段は味わい深かった。二の坂の茶屋のお母さんは娘にバトンタッチであろう。山寺信仰の聖地—立石寺の岩は独特。
鎌倉も段数は少ないが魅力的な石段が多い。山門から本堂までが魅力一杯。
鋸(のこぎり)山の石切り場—横浜港の洋館の石はここから出た。
身延山久遠寺の石段・「菩提梯」は急勾配で最難関。天に届く287段。
久能山への石道は片側に見える駿河湾の紺碧に疲れが癒された。
鳳来山参道は山城の厳しさが漂う1425段の石の道。1200年の重みがある明通寺。山門を見え隠れさせる杉の大木と墓石へ導く飛石が目を惹く。
大宗教都市の遺跡が眠る平泉寺−苔に覆われた石垣と石畳が衰亡の歴史を見届けた。
伊勢路−街道の難所だった馬越峠とツヅラト峠の石段。目指す処は幾山々越えた先にある。
紀伊路−凄みさえ感じる石の道・神倉神社までは538段。御神体の那智の大瀧、この場で出た石を積んだ遥拝所へ続く石段。鬼ケ島の奇岩
三仏寺は昔も今も危険と隣り合わせ。行くならお若いうちに。投入堂(国宝)だけは見ないと・・・。
外泊(愛媛県)、追いつめられてもドッコイ負けない人々の強さ 石を囲み・積んで成した集落
御坂遊歩道(熊本・美里)延長1900m、3333段 段数は日本一。でも自然石の石段には勝てません。
今回はこの辺で終わりとします。見苦しかった点はお許しください。この頃の写真は素直さ一杯で、ういういしさが感じられます。
段々と細りゆく体力ですが、原点に戻る気持ちで続けますので、宜しくお願い致します。