Monthly Web Magazine Feb. 2015

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■■■■■ 節分祭 中山辰夫

蘆山寺(京都市上京区) 「追儺式鬼法楽」とその他の節分祭情報 

2月3日は節分祭。各地の社寺がそれぞれ伝統行事を展開します。社寺の多い京都では、その多くが除疫・招福の祈祷後に行われる福男・福女、福娘(伏見稲荷大社・平安神宮など)や舞妓(八坂神社)による豆まきに人気であるようです。でも結構ユニークな節分行事もあり、その一つである蘆山寺の行事を紹介します。

蘆山寺(上京区)は紫式部の居住跡であることや本堂前庭に咲く「桔梗」で知られ、シーズンには吟行で訪れる女性客が多く見受けられます。

加えて、節分に行われる「追儺(ついな)式鬼法楽」(鬼踊り法楽)の行事がよく知られています。法螺貝と太鼓に合わせて踊る赤・青・黒の鬼が主役で、そのユーモラスな姿を楽しむ参詣客で溢れます。

普段は閉じた大師堂もこの日はオープンです。デーンと構える三匹の鬼が並べてあります。行事の前に「鬼の御加持」が行われます。

開山の元三大師良源(慈恵大師)が宮中で護摩供を修された時に、三匹の悪鬼を退散させたという謂われが残り、1935(昭和10年)頃から始めたようです。

行事は、鬼踊りと称して、堂や周囲を乱舞する三匹の鬼たちを護摩の威力で退散させる内容です。

午後3時から始まりです。堂内で護摩が焚かれ、読経が響きます。境内は人で一杯です。

読経の声が響く中、三匹の鬼が松明や大斧、木槌を手にし、足を踏み鳴らしながら登場、乱舞しながら大師堂に向かいます。

その独特の動作は猿楽に由来すると説明にあります。赤・青・黒の鬼は人間の煩悩を表しているようです。

大師堂へ入った鬼たちは護摩供を邪魔しますが、護摩の火を受け、追儺師が放つ5本の矢に苦しみながら退散します。

その後は、豆と餅まきが行われ、境内は参拝者の大声で沸き立ちます。時々時雨が落ちる気温の低い午後でした。

節分祭の情報

●吉田神社(左京区)

京都の表鬼門に当たる吉田神社の節分祭は、節分厄除発祥の地でもある吉田社で、節分の日を中心に前後3日間にわたって、本宮と大元宮で執り行われます。大元宮は、正月と毎月1日、節分祭三日間のみ開門されます。節分の豆まきは、室町時代に宮中で行われていた様で、その内裏の追儺を引継いでいます。

2月2日の「疫神斎」・「追儺式(鬼やらい神事)」、3日の「火炉祭」と行事が行われます。この間境内には約800件の屋台が並びます。

●壬生寺(中京区)

京都の裏鬼門に当たる壬生寺の厄除節分会はさほど広くない境内で行われ、大勢の参拝客であふれます。

山伏・稚児のお練り供養と大護摩祈祷の後、壬生大念仏狂言「節分」が恒例の出番です。狂言「節分」は、後家と鬼とのやり取りの中で、鬼の誘惑に負けずにまめに働くと福徳がえられるというストーリーです。

境内で売られる素焼きの炮烙に年齢・願い事を書いて奉納しておくと、4月の壬生狂言「炮烙」の演目中に盛大に割られ、厄除けになるといわれます。

●須賀神社(左京区)

この神社は交通神社として名が通っております。異彩を放つ行事が節分祭の2月2、3日に行われます。平安装束の水干(すいかん)に烏帽子を付けた覆面の二人組が現れ、女性に懸想文(けそうぶみ)を渡します。江戸時代に登場した懸想文(恋文)の売りを復活させたもので、渡される懸想文は良縁祈願のお守りになると、年々女性の間で人気が高まっています。起源は、依頼人の思いを教養のある貴族が正体がばれないように、覆面をして代筆をしたことにちなむともいわれます。

●長田神社(神戸市)

約700年前から伝わるとされる、県重要無形民俗文化財になっている神事「追儺式」が長田神社で行われます。「神々の使い」とされる7匹の鬼が、火のついた松明を持って、足を踏みながら演舞を見せます。鬼は地元の人が受け持つとか。家内安全と無病息災を祈ってくれるようです。

●多賀大社(滋賀県多賀)

2月3日の節分には、毎年島根県川本町の因原神楽団の協力による「鬼の舞」が毎年奉納されます。

島根県内には、西部(石見地方)に古くから伝わる伝統芸能・石見神楽を維持、継承するために多くの神楽団が結成され、活躍されています。

因原神楽団もその一つで、その年の豊作や豊漁を祈願する神々に捧げる歌や踊りを、県内外で公演されています。

演舞の後、神楽団扮する鬼が登場、それを宮司が豆をまいて追い払います。続いて還暦の男女約150名が赤ずきんを被り、袴や着物姿で約200mもの特設舞台に並びます。毎年年男、年女は県内各地から集められます。かけ声に合せて一斉に厄除・招福の豆と餅をまく様は只々壮観です。

●押立神社(滋賀県東近江市)

押立神社では、節分の日に、地域の伝統舞踊「ドケ踊り」が節分行事に合わせて奉納されます。

ドケ踊りは五穀豊穣などを祈る踊りで、60年に一度開催される古式祭の渡御行列の中で披露されてきました。前回の古式祭は1971(昭和46)年でした。

神社では踊りの後継者を絶やさないようにと、保存会をつくり2006年から毎年節分の日に踊りを奉納してきました。

神事の後、還暦を迎えた氏子が福豆をまき、続いて保存会の奏でる笛や太鼓に合わせて8人の踊り手が登壇、約4分間の舞を奉納しました。

きらびやかな赤い衣装の上に般若や鬼の面をかぶった踊り手が、バチを鮮やかに振りながら「ドッケノ ドッケノ シッケノケ」という独特の掛声で踊ります。

節分祭の一風変わった行事はまだまだ各地に残っています。年一回のため多くを見ることが出来ませんが、今後も継承されるよう願っております。

写真引用≪多賀町観光協会(提供)、東近江市HP≫

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