Monthly Web Magazine Feb. 2015
■■■■■ 発掘された金象眼文字を見ながら 田中康平
寒さで荒れた天気が続くとつい出不精になる。今年は戦後70年目の年になることもあってテレビを見ていると先の戦争の話が時々特集される。
戦争体験者に取材して戦記を書いている方の座談会というのを何気なく見ていると、戦争の話をしてくれる人の話の真偽性の話になる。なんと50%以上の話がウソか誇張であるという。
それがこの類の取材をするに当たっての共通認識のようだ、驚いてしまう。
個人の記憶に残る歴史はこんなものなのだろうか。面白い話を求めるプレッシャーに負けてつい面白い話をしてしまうのだろうか。
そういえば全国各地に残る平家落人の言い伝えは多くが話の上手な木地師集団がこしらえたものだと柳田国男がどこかに書いていた。
昔からの話も話だけ伝わっているものは相当に疑ってかかる必要があるようだ。昔々のお話には物証が見たくなる。
そういう訳ばかりでもないが時々は遺跡の発掘結果の展示を見るようにしている。
つい最近では福岡市埋蔵文化財センターに福岡市西区の元岡古墳から出土した金象眼文字の入った太刀を見に行った。
展示は始まったばかりだが太刀そのものは3年半くらい前に出土して文字を明瞭にする錆取り処理に時間がかかっていたようだ。
庚寅の文字から製造は西暦570年とされる。やわらかな筆使いの感じられる金象嵌で製造技術がそれなりのレベルに達していたことをうかがわせる。
570年といえば朝鮮半島に倭国が作ったとされる任那が滅ぼされた頃だからこの位の技術はあって当然といえば当然なのだろうがきらきら輝く金の文字を眼前にみると当時の文化のレベルが伝わってきて日本書紀も一定の信頼性があるのかとも感じられてくる。
それにしても太刀に庚寅正月の庚寅日時作と刻むのは太刀に魔力を与えたということだろうか。最近見た歌舞伎の慙紅葉汗顔見勢に子の年、子の月、子の日、子の刻生まれの血が鎌にかかると妖術が敗れるという下りがあってこれを思い起こしてしまう。1000年以上の時を経て流れ続けている共通な形をそこに感じて何だかいい。
歴史は言葉だけでは伝わらない、言葉だけでは単なる言葉遊びと見分けがつかない。言葉が物につながった時、えもいわれぬ形が現れてくるように思える。
九州には神話の時代に遡る歴史的なお話が沢山伝わっているが長い時と戦火が証拠物を無としてしまっていて言葉遊びに陥りがちな雰囲気がある。
何とか物でつなげて見たい、残された歴史的遺物は出来うる限り見てみたい。そうは思っても出来ることには限りがある、物をつないで時を遡る遊びをのんびりと今年も続けていくことになるのだろうか。
写真は元岡G6号墳より出土した「庚寅銘大刀」