Monthly Web Magazine Mar. 2015
今回は夏の風物詩とされる「水琴窟」を紹介します。数年前にNHK「美の壺」でも取り上げられました。情報としては遅いかもしれません。
その水琴窟は、伏見稲荷大社境内と道を隔てて建つ大橋家の庭園にあります。特に京都最古の水琴窟を備えた庭園として特筆され、京都市の登録文化財に指定されています。庭園は苔に覆われ、大小・色とりどりの石や燈籠が点在する落ち着いた雰囲気を保ち、稲荷大社付近とは別世界の閑静さです。
大橋家庭園は、現当主・大橋亮一氏の曾祖父・大橋仁兵衛氏が隠居屋敷(別荘)の庭として、親戚で親しかった七代目・小川治兵衛(植治)氏の監修を得て1913(大正2)年に完成した、露地風の個人宅庭園です。既に百年を経過しています。
大橋家は鱧をはじめとする瀬戸内海の鮮魚の元請を家業とされており、庭園名『苔涼庭 たいりょうてい』は親交の深かった各地網元の『大漁』を祈念して名付けられたようです。
七代目・小川治兵衛氏は、明治・大正時代を代表する造園家で、京都では『平安神宮の神苑』『無鄰菴(山形有朋の別荘)』『有芳園(住友家別荘)』などの国指定の名勝を含めた名園を手掛けており、この時代は特に琵琶湖疏水が完成し、その水を引き込んだ造園が治兵衛氏のパターンでもあったようです
この庭園には2箇所蹲踞(つくばい)に設けられた水琴窟があって、両方ともに100年もの間いい音を響かせ、今も現役でいると聞き半信半疑で訪れました。
庭に案内されて、一番にその音色に接しました。ビックリです。とても素晴らしい響きです。見事に応えてくれました。正に「いきもの」のようです。
その音色をおきかせできないのが残念です!どのような構造になっているのか興味が募ります。
水琴窟は、蹲の排水装置として地中に埋めた甕に工夫を加え、手洗い時に涼しげな音を響かせるもので日本庭園最高の音響装置と称されています。
上から滴らせた水が落ちる時、甕に反響する深く澄んだ音を楽しむというもので、寺社巡りの中で、所々で見かけはしますが、音色に接する機会は殆どありません。
一般的な水琴窟断面模式図
苔涼庭にある二つの水琴窟にはそれぞれ特徴があります。
一つは、周囲より一段低く作られて「降り蹲踞(おりつくばい)」に設けられ、蹲踞の底には鮮やかな色彩の砂利が敷き詰められており、実用というよりは観賞用に作られたようです。この蹲踞は客間に面して、景石、石灯篭、クロマツが植えられている築山とセットになっており、この庭一番の見所といえます。
もう一つの水琴窟は、客間と待合の間の縁先手水鉢(えんさきちょうずばち)に設けられています。この手水鉢は実用が主となっています。
何れも水には敏感で、やり水の量や間隔で音色が変ります。金属音に似た澄んだ響きは癒しになります。二つの水琴窟はさほど離れていないため、音の微妙な違いを聞き比べることができるのもこの庭の面白いところです。残念ながら内部の構造は解りません。
仁兵衛氏がこの土地を求めたのは1911(明治44)年で、付近には人家もほとんどなく、周囲は木々に囲まれた森だったようです。
現当主の四代目・大橋亮一氏のお父さんの若い頃の写真にも森に囲まれていた様子が写っているようです。
水琴窟のこころよい音色は森の中にも響き渡ったことでしょう。その時と同じ音色を今味わっていると思うと、不思議な感じがします。
水琴窟は江戸時代に考案され、明治時代から昭和の初めまでは各地で多くつくられていたようですが、戦中・戦後の混乱期は忘れ去られたようで、昭和50年代には全国で音が聞こえる水琴窟は7〜8か所残っただけと伺っております。
1983(昭和58)年頃、朝日新聞の天声人語やそのすぐ後、NHKのTVで取り上げられたことが復活の契機となり、現在では京都市内だけでも40数カ所を数えるようです。広辞苑に記載されたのはその後でまだ日が浅いようです。京都では妙心寺の塔頭・退蔵院や円光寺にもありますが、苔涼庭のものより新しいものです。
亮一さん自身も、「音が出ることは知っていたが、水琴窟であることは、天声人語の記事を見て初めて知った」と話されています。
それまでも、その後も手入れは一切行っていないとお聞きし驚きました。
一般に、水琴窟は地中にあるため、甕に泥がたまり早ければ10年程度で音が出なくなるとされます。
水琴窟がこれまで一般に知られることがなかったは、機能する期間が短く、歴史的に有名な庭園や神社仏閣などには残っておらず、所謂文化財の範疇にも入っていないことによるともいわれます。その点からも、大橋家の水琴窟は貴重です。
縁側に座って、亮一さんからお話を伺いました。
この庭が作られた頃は、疏水が完成し、その水を引き入れる庭園が多く造園されたようです。
「疏水の水にかわる水の景色として水琴窟が考えられ、水琴窟の音を聞いて庭の水・流れを想像したのでないか」といったお話や、仁兵衛さんは雅楽を趣味とされていたので音を楽しむ水琴窟をつくったのかも・・。何一つ資料が残されていないので、掘り返すこともできない。現在、庭の管理を委託している十一代目や十二代目小川治兵衛さんとも語らいの中で想像を膨らませておられる様子でした。
庭をじっくり眺めつつ、いろんなお話をお聞きしながら曾祖父・仁兵衛さんのこの庭園にかけた思いを想像して過しました。
この時期、色気のない庭にツバキが一輪花を開いていました。最近小鳥が庭を掘り起し、苔をダメにしている。一年通して気が抜けない日々が続くとのお話でしたが、今後も長く守って欲しいとお願いして別れました。何時かまた訪れるつもりです。四季の花も豊富です。
お庭