Monthly Web Magazine June. 2015
本年3月1日に全面開通した常磐高速道路を利用して宮城県に出かけました。
これによって、東日本大震災による東電福島第一発電所の事故のために帰還困難区域や居住制限区域
(区域の名称の定義は下図参照)を車で通過することができるようになりました。
宮城に出かける目的は、我々老人にできる震災支援、ちょっぴりのお金を東北で費やす事。
大川小学校に代表される被害の厳しかった石巻の現状確認。
そして、常磐道での帰還困難区域や居住制限区域の通過でした。
自宅のある柏ICから常磐道に入り、2時間あまり、広野のJビレッジの看板が見えたあたりから帰還困難区域は常磐道も二輪通行禁止の立て看板が目立ち出し、車を運転していてやはり緊張してきます。
続いて、その位置の放射線量を計測した表示版がいくつも出てきます。(空中線量の測定と理解しました。)
最初は0.2μSv/Hr程度であったものが、帰還困難区域では最高5.6μSv/Hr、単純に計算すると49mSv/年の放射線量、そこを車で通過するだけでもいささか危険を感じ不安になります。
常磐道は大熊・双葉・浪江の各町と南相馬市の帰還困難区域を通過しますが、震災直後のまま屋根瓦の崩れた家、自家用車がきちんと庭に止められたまま無人となった家が続いています。
もちろん、一般道を移動する車もなく、田んぼはすでに雑草ではなく、背の低い灌木育っています。
帰還困難区域の周辺の居住制限区域では動いている車は散見できるものの、いたる所に黒いビニールに包まれた除染のために除去された汚染土が置かれています。
その量の多さには驚くばかりです。しかもその汚染土が住宅の周囲に山積みされている光景を何度も見せられます。
これでは、ここに戻っての生活再建など夢のような話で、いつになったら元に戻るのかなんて考えられない状況です。
現実をこの目にして、絶望さえ感じるほどに打ちのめされました。
その日はこの後、仙台近郊でゴルフをして、作並温泉に宿泊。
もちろん、夜は大酒をいただきましたが、朝の常磐道の光景に皆が意気消沈していてお酒の廻りが遅かったように感じました。
ともかく、被災地でちょっぴりのお金を費やすという目的は果たすことができました。
そして、石巻へ。
石巻では、英国のウィリアム王子も訪れた日和山公園から震災復興の様子を確認しました。
旧北上川の河口から中瀬まで
墓だけが残る景色
津波が押し寄せた地域には未だ何もないと言って過言ではありません。大震災から4年が過ぎたというのに、整地されただけで人の生活の色は全く感じられません。
いろんな工事は行われているのですが復興・復旧という言葉とはかけ離れた現実を見せつけられた気がしています。
ここ日和山公園で大震災の津波を体験した60歳台の男性にお会いしました。
ご自宅が旧北上川の河口近くにあり、そこで津波に巻き込まれたそうです。
「二階の屋根が下に見えたので12〜3mの高さに自分がいたことを記憶している。」
「我家を訪ねてくる予定の孫は地震で学校から避難し、自分の家には来られず助かったが、妻と多くの友人が亡くなった。自分一人、生きていても何の意味もない。」
返す言葉が見つかりませんでした。
東日本大震災から丸四年以上が経過しましたが。被災地以外の国民の心からこの大震災の記憶は随分と薄れているのではないでしょうか。
しかし、被災地では記憶ではなくまだまだ現実そのものです。日常なのです。
もう一度、震災直後の被災地と被災者に寄り添う心を思い出して下さい。そして、被災地と被災者のために何ができるか考えてください。
帰路は東北道経由で帰ろうと考えていましたが、思いを深く心に刻むために再び常磐道を通って帰りました。