Monthly Web Magazine June. 2015

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■■■■■ 「近江甲賀の前挽鋸製造用具及び製品」が国の重要有形民俗文化財に指定される 中山辰夫

内容は、全国各地の山林で使われた前挽き鋸の製造実態を伝える関連資料1274点で、重要有形民俗文化財は全国で216件、滋賀県内で初めてです。

「前挽鋸製造用具と販売用具・信仰用具など」

滋賀県は、京都・奈良・東京に次いで国宝や重要文化財を多く所有する県です。しかし、重要有形民俗文化財の指定が今回始めてとは驚きでした。

近江は古来においては、都の造営や大寺院の建築に大量の材木を供給してきました。甲賀周辺地域は古くから良材の産地として知られ、東大寺や石山寺造営の用材を供給し、「甲賀山作所」の杣山に比定されています。甲賀には東大寺が経営する「甲賀杣 こうがすま」もありました。

また、2005(平成17)年、甲南町地先の新名神高速甲南インターチェンジ工事現場から、伐採時期が飛鳥時代(年輪年代630〜80年頃)と特定された加工痕の付いた木材が多数発見されました。長さ5m余。太さ直径80cm余の丸太材です。甲賀の杣の実在を示す有力な手がかりです。

「畔之平遺蹟」

さて、今回の資料は、前挽鋸の製造の各工程で使用する用具や出荷から販売、職人の信仰に関する資料などが、甲賀を中心に体系的に収集されたものです。

斧・鑿(ノミ)についで、鋸は古墳時代から使われ始め、横挽きのものでした。建築の製材用の縦挽き鋸は15世紀に入ってから使われだしています。

その後、17世紀後半には二人使いの横挽製材鋸が、18世紀中頃には一人使いの縦挽鋸と移っていきます。製材技術が年々大変革を遂げてきました。

江戸時代に入ると職人技術の黄金時代がはじまり、これまで万能的であった大工道具も建具職・家具職などと分化し、木工関係職人の用途にあわせて、専門的・単能的な多くの種類に分化していきます。 前挽鋸の全盛期がここに始まります。一人使いの大型製材鋸(前挽)の出現です。

前挽鋸は、江戸時代中頃、京都・大坂・三木(兵庫県三木市)、そして甲賀で独占的に生産され、需要が広まりました。 関連資料です。

「六孫王神社権現社新縁起 坤」(六孫王(ろくそんのう)神社(京都市南区八条町)所蔵)「引用」

元禄15年(1702)に描かれた絵巻物で画面は社殿造営の場面である。前挽鋸(まえびきのこ)を用いた挽割製材による正確な製材,台鉋による部材表面の美しい切削など,近世の大工道具の充実した様子を伺い知ることができる。元禄14年建立の一連の社殿は京都市指定有形文化財として現存している。

葛飾北斎 「富嶽三十六景 遠江山中) 遠江(現静岡西部)の「大鋸挽き」の光景 1831(天保2)年ころ「引用」

甲賀の林業の盛んな地域性が、江戸時代中期からの前挽鋸の製造につながり、明治以降は甲賀の地場産業、甲賀産前挽鋸が全国的に流通しました。

北海道開拓記念館(現・北海道博物館)には、甲賀産の前挽鋸が数多く展示されています。1899(明治32)年頃始まった根釧原野開発時の鉄道枕木づくりに使われたものです。その他、海外にまでも販売されたようです。

甲賀市で5月23日、今回の国指定をうけて、記念講演と元木挽き職人の技披露実演が開催されました。

元木挽職人の86歳になられた田中新次郎さんが、長さ2m、直径40cmほどの杉の丸太を縦に挽き、製材にする熟練の技を披露されました。

「木は真直ぐでなく、ねじれて育つ。1本1本年輪や木肌を見て、筋を見極めてから挽く」と話されました。「鋸からしばらく離れると、刃先から伝わる微細な振動が握っている手に伝わる感覚が戻らない。人が触るとクセがとられる」 錦織選手のラケットに対する思いと全く同じで、経験の深さと仕事への誇りをヒシヒシ感じました。

使われた道具の中で「スミツボ」が懐かしかったです。ユニークな形状には意味があり、職人にとって重要な工具でした。独特の墨の香りを久しぶりに味わいました。

講演は、「製材技術と道具の歴史−木の建築を作る工程と製材」なる題目で、渡辺 晶氏のお話でした。渡辺氏は(財)竹中大工道具館に長く所属され、現在は建築技術史研究所を主宰され、一貫して建築技術史の研究に携わっておられます。『大工道具の日本史』など著書も多いです。

木造建築の道具にポイントを置いた変遷のお話で、ノコギリだけでも奥深く、初めて耳にする内容ばかりでした。

桜町遺跡(富山県) 高床式建築 約4000年前 縄文時代中期 クリ材 直径60cmの丸材に打製石器で貫通させた穴がある用材が使われている。「引用」

平等院・国宝(宇治) 1052(永承7) 床材12cm前後の厚みがある 打割製材 厚い材しかできず、そのまま使う。

慈照寺東求堂・国宝(京都) 1486(文明18) 大型縦挽製材鋸(大鋸 おが)の普及で薄板の製材が可能となり繊細な書院造が広まる。

スペースの関係で省略しますが、「たかが道具、されど道具」よ〜く分かりました。

『伝統的な日本の木の建築は、手道具であるカンナ・ノコギリなどの「引き使い」という日本独特の職人の技術による技法で建てられており、ユネスコの世界無形文化財に登録されて不思議でない』の言葉が印象的でした。機械化され、電動化された工具からは技法に多様性が生まれないというお話でした。

各地の寺院や・神社をカメラで追っておりますが、宮大工さんの造られたものとして詳しく見ておりませんでした。今回渡辺さんのお話を聞き、大工手道具の歴史・技術の変遷と、国宝・重要文化財の建造物との深い関りが分かり、見る観点がまた新しく加わりました。

引用などの参考資料≪講演会資料、甲賀市史、大工道具の文明史、高野城遺蹟報告書、京都市文化観光資源保護財団レポート、他≫

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