Monthly Web Magazine Oct. 2015
肺炎の入院からずっとスッキリしない体調が続いています。
退院して10日ぐらい後に又熱を出して病院へ、大事にはなりませんでしたが
9月中旬の検査では医師も不安なのか、肺炎完治のお墨付きはいただけず、10月に再検査となりました。
そのせいで、自分の思いのままの行動は制約され仕事以外は外出も儘ならない暮らしをしています。
当然、プッシュシャッターシンドロームで人差し指に痙攣がでています。(そんな病はありませんが)
そんな中、運よく仕事で愛媛に出張ができたのです。三連休直前でしたが、新居浜での仕事が完了した後、松山に一泊しプッシュシャッターシンドロームの治療にあたりました。
当初、松山市内で道後温泉本館、石手寺などを廻ろうと考えていましたが、松山城で朝一番にもかかわらず大勢の観光客に出会い方針変更しました。
松山城は平山城で天守は高くありませんが美しい城です。
複雑に入り組んだ通路と石垣、その石垣も未だにその強固堅牢さを誇るようです。
一説によると、この城を築城した加藤嘉明は城の完成直前に会津に転封となっていますが、その理由があまりにも強固堅牢なこの松山城を築いてしまったためとも言われています。
現存12天守で今年松江城が国宝となりした。現在5天守が国宝、もちろん基準はあるのでしょうが次に国宝となるのはこの松山城のような気がします。
もう一つ、この松山城のおもしろいところは天守に至るまでに通過する多くの門です。
上の画像の門の内、3つが重要文化財に指定されています。ここにないものが1つ指定に入っていますから門だけで4つの重要文化財があり、隠門という城を攻めてきた敵の背後を襲うための門まであります。
全体で21件の重要文化財を持つ博物館のような城なのです。
撮影を終えて、駐車場に戻ってみると観光バスで一杯、天守の向かう一の門でハングルが飛び交っていたのも頷ける状況に道後温泉本館の撮影を諦めて、内子に向かうことにしました。
内子には今から13年前に一度訪れています。まだJGの通信員になっておらず、文化財の撮影に興味を持っていない頃で画像もほとんど残っていません。
初めての訪問のつもりで歩いてみました。
重要伝統的建造物群保存地区に指定され、重要文化財の建造物が内子座をはじめとして4件、漆喰の白壁の続く街並みは車の通りの少なく落ち着いて撮影ができました。
ただ、道幅が狭く建造物を正面から撮影するとほとんどの場合、全体を撮影することができませんでした。
そして、松山の混雑がうそのように観光客も少なくのんびりと街並みを見て歩くことができました。
内子への方針変更は正しかったようです。
ここで、ランチにたいめしをいただきました。お米と一緒に鯛を炊き込んだものではなく温かいご飯の上に、漬け汁につけた鯛のさしみをのせ、さらに卵黄をのせていただく鯛のづけ丼のようなものですが、これが絶品でした。
帰りの飛行機にはいささか早い時間でしたが、松山にもう一度戻る気分にはならず、ここから松山空港に直行し、帰京しました。
やっと体調も普段に戻りつつありますので、これからはプッシュシャッターシンドロームにならないよう撮影に出かけたいと考えています。