Monthly Web Magazine Mar. 2016
昨年の11月に思いついて軍艦島を訪れた。
東シナ海から動いてくる低気圧が長崎上空を丁度過ぎていく頃に当たり天気は大層な荒れ模様で、上陸は疑わしかったが、低気圧の中心部が予想外に穏やかで、なんとか上陸できた。
カッパを着て横殴りの雨に打たれながら廃墟を見て回って写真を撮る。廃墟らしい雰囲気に満ちている。
写真は水滴が写りこんだりピントがぼけたり、散々だが、それでも、というか、そのほうがむしろ後で見直して見ると一層生々しく雰囲気が蘇ってくる。
モノトーンにしてみると尚更だ。幾つかの写真を添付する。堤防の穴に打ち寄せる波のように部分的にカラーがついている写真の方がいい場合もある。
モノトーンの方がその雰囲気をよく伝えてくるというのも不思議だが、人の感覚というものはそういうものなのだろう、選択的に情報を取り入れる、必要なものだけ見ようとする、そんなメカニズムが体のどこかにプログラムされているようだ。廃墟の色を脳は見ていなかったのだろう。
音を録音する時はそのことは顕著で、人は雑踏の中でも人と会話はできる、録音してみると雑音に埋もれてしまうような声を現場ではよく聞き分けている。
心理学ではカクテルパーティー効果として知られている選択的な聞き方を人間はしているということらしい。生理学的には左脳が主にその機能をになっているともいわれているようだ。
同じことが見ることでも起こっているような気がする。写したそのままではその時の現場で感じられたことは十分にはというか全くとさえ再現できないことがあるような気がする。
それだから写真は面白いのだろう。写真よりもよく伝わる絵の価値が写真技術がいくら進んでも薄らがないのだろう。