Monthly Web Magazine May 2016
全国で、年間約30,000件の大小様々な祭りが繰り広げられると聞いた気がします。4〜5月は各地集中して多いようです。
それぞれの土地での祭りは、そこで生まれ育った文化を形成しており、多くの歴史的背景を内蔵しています。難しいことは別にして、地元や近隣府・県の祭りが、何年に一度とか、何百年続いているとか、大祭と聞くと、「もう次は見れない」との思いが強くなってよく出かけます。行けば得難い情報の収穫も期待できます。
祭りは毎年5月3日に、滋賀県米原市朝妻筑摩の筑摩神社一帯で営まれます。
筑摩神社の創祀時期は不詳ですが、852(仁寿2)年に 従五位下を授けられた記録が残る古社です。興福寺や源頼朝・足利尊氏とも関りがあったようです。
和紙で作った鍋と釡の冠をかぶり、緑色の狩衣に緋色のはかま姿の女児たち−鍋冠人−が祭の主役です。(登場の多い少女は新一年生です。関係はなしです)
朝妻筑摩と他の4地区から選ばれた6〜10歳(小学1〜5年生)の女児が、神輿や御鳳輦(ごほうれん)などと共に行列をなして湖岸をゆっくりと練り歩きます。
鍋冠祭は平安時代から続く伝統の祭礼で都人に知られており、伊勢物語や後拾遺集に詠まれています。
関りのあった男性の数だけ鍋をかぶらないと神罰が下がると女性の貞操観念の祭りとして知られていました。また、筑摩神社の祭神が御食津神であり、当地に御厨(みくりや)があったことから、神への神饌を鍋に入れて頭上に掲げて運んだ名残とも考えられます。江戸時代に少女の渡御になり、今では少女の通過儀式となっています。
鍋冠の少女の他、鉾持ち、母衣、奴など総数約200人を越える行列が筑摩神社までの約1kmを進みます。かつては神輿を湖中で担ぎ渡御したようです。
冠の下からチラとのぞかせる女児の笑顔がとても可愛らしかった。
鍋冠祭は、宇治の「あがた祭」、富山県鳥坂の「尻たたき祭」とともに日本三奇祭の一つに数えられています。
この祭りがなぜ奇祭といわれるのか聞き洩らしました。長い時間を経過する中で、それぞれの時代に合った姿に代わるのはやむを得ない事と思います。
この連休には多くの祭りを見学しましたが、共通する悩みは維持・継続の事です。高齢化と若者の流出による担い手不足で伝承の危機が迫っています。