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Monthly Web Magazine Dec. 2016
■ 柿のこと 大野木康夫
11月と言えば紅葉の季節ですが、子どもの頃は「柿の季節」であると思っていました。
家には柿の木が二本、甘柿の次郎柿と渋柿の西条柿がありました。
また、隣の空き地には甘柿のクボガキと渋柿の安西があり、自由に取ってもいいことになっていたので、11月から12月にかけてのうちの家の「おやつ」は、早く熟すクボガキ→次郎柿一色となり、次郎柿が終わってしばらくしたら、西条柿と安西のつるし柿と買ってきたみかんになりました。およそ3箇月は柿ばかりだった記憶があります。
今では、西条柿とクボガキはなくなり、家族も柿をあまりたべなくなったので、次郎柿は同居している父親が近所の人や知り合いに配っています。
隣の空き地には家が建ちましたが、父親が安西をもらってつるし柿を作っています。
紅葉の撮影も一段落した12月4日、かねてから見たいと思っていた宇治田原の柿屋を撮影に行きました。
宇治田原は霧深い山あいに位置し、古くから茶の産地として知られています。
また、18世紀の前半、宇治田原の湯長谷で茶を栽培していた永谷宗円(永谷園の先祖)が、現在の煎茶の製造を始めたことから、「日本緑茶発祥の地」とも言われています。(それを売り出した日本橋の山本嘉兵衛が現在の山本山です。)
その宇治田原では、茶園の霜よけに「鶴の子」という小粒の渋柿を植え、その実を干し柿にしていました。
干し柿は「古老柿(ころがき)」と呼ばれる独特のもので、軒先につるすのではなく、収穫が終わった田んぼに「柿屋」を立てて天日干しにします。
柿屋には斜めの藁屋根と3〜4段の棚があり、扇風機も使って、棚の上で皮をむいた鶴の子を乾燥します。
雨の時は側面をシートで被うようです。
柿屋は宇治田原の各地で見られますが、行ったのは宇治田原で最大の柿屋がある立川の大道寺地区です。
棚によって、干してある柿の色が違うことから、乾燥の度合いが異なることがわかります。
乾燥がある程度進むと、唐箕の上で転がす作業(ひる)を毎日繰り返すことにより、次第に表面に白い粉(内部から出た糖分の結晶)が現れます。
完成した古老柿は撮影できませんでしたが、表面が真っ白になった小粒で甘みが強い干し柿です。
生産過程で不要となった皮や、加工できない小さな柿は、田んぼの肥やしにされています。
それも含めて、この時期の宇治田原の風物詩かと思います。