Monthly Web Magazine May 2018
■ 木製看板について 大野木康夫
京都は建物が空襲で焼けるということが極めて少なかったため、今でも戦前から続く木製看板が多く見られます。
最近、仕事に関連して木製看板の写真を撮る機会があったので、いくつかピックアップして紹介したいと思います。
源田紙業(上京区)
宝亀2(771)創業で平安遷都により京都に移転したと言われる水引関連のお店でした。
会社は存続していますが、事業を整理されて販売業務はやっておられません。
看板は京都に2枚しか残っていない北大路魯山人の彫看板です。
山本竟山の揮毫による看板
亀末廣(中京区)、本家玉壽軒(上京区)
山本竟山は明治時代の書家で、明治の末から京都で活動していたため、看板の揮毫も多く手掛けました。
亀末廣は文化4(1804)年、本家玉壽軒は慶応元(1865)年創業の和菓子屋さんです。
亀末廣の看板の縁取りは、菓子の木型を並べたものになっています。
小川寉斎の揮毫による看板
平安法衣店(下京区)、浅井商店(中京区)
明治から大正にかけての書家である小川寉斎は、多くの看板を揮毫しました。
京都で雰囲気のある古い木製看板を見たらかなりの確率で寉斎のものであることが確認できると思います。
富岡鉄斎の揮毫による看板
彩雲堂(中京区)、鶴屋吉信(上京区)
明治、大正に活躍した文人画家富岡鉄斎が揮毫した看板は、数が少ないものの残っています。
迫力のある書体で目立つ看板となっています。
その他明治期の看板
ヨアケ、灰孝本店(下京区)
いずれも明治期の看板ですが、当時の看板屋さんが手掛けたもののようです。
灰孝本店は任天堂と兄弟企業(創業者が同じ)で、任天堂旧本社の近くにあります。
江戸時代の看板?
古梅園京都支店(中京区)
意外かもしれませんが、京都には江戸時代の商業看板はほとんど残っていません。
幕末の戦火、明治初期の衰退の影響でしょうか。
奈良の古梅園の京都支店(江戸時代からあった)の小さい方の看板が江戸時代のものと言われているくらいです。
(参考)寺社の扁額
高山寺石水院(右京区)、龍吟庵方丈(東山区)
今回撮影したものではありませんが、寺社の扁額のうち古いと思われるものを紹介します。
日本最古の看板はおそらく東大寺西大門勅額(重文)です。
京都にも勝持寺仁王門扁額(伝小野道風揮毫)、東寺鎮守八幡宮扁額(伝空海揮毫)、清水寺仁王門扁額(伝藤原行成揮毫)などがありますが、古いものにはどうしてもレプリカではないかという疑いが消えません。
オリジナルかもしれないと勝手に思っているもののうち、古いものが高山寺石水院扁額(伝後鳥羽上皇揮毫)、龍吟庵方丈扁額(足利義満揮毫)かと思います。
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