JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Nov. 2018

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■ 寺院跡の遺跡発見 中山辰夫

発見場所はJR琵琶湖線・栗東駅から2km余離れた栗東市蜂屋の集落にある蜂屋遺跡です。

    

蜂屋遺跡は、縄文時代から中世の遺跡で、「興福寺官務牒疏」に金勝寺二十五カ寺の一つ、古代寺院「蜂屋寺」存在の伝承が残っています。

金勝寺は金勝山の山頂にある古刹。聖武天皇の勅願で、平城京の東北鬼門を守る国家鎮護の祈願寺として733(天平5)年創建の古刹。

   

その後、815(弘仁6)年嵯峨天皇の勅願を受け、興福寺伝灯大法師願安により、大伽藍が建立され、大菩提寺と称した。

8世紀中頃までに近江の25別院を総括し、法相宗興福寺の山岳仏教道場でもありました。(興福寺官務牒疏)

蜂屋集落には717(養老元)年 物部氏が勧請したとされる「宇和宮神社・本殿は国指定重要文化財」もあります。

   

蜂屋集落の遺跡発掘現場から、南北方向に延びる4本の溝跡と法隆寺やその周辺以外では見られない軒瓦、鴟尾(しび)の一部が出土しました。

軒瓦は飛鳥時代後半(7世紀後半)のもので、法隆寺と関連のある寺院がこの土地で造営された有力な手がかりとなりそうです。

蜂屋集落から出土した軒瓦と法隆寺瓦との比較

  

法隆寺若草伽藍跡や隣接の中宮寺跡から出土した瓦と同じ型で作られた可能性が高く、法隆寺と関連強い寺院造営があったと推定されます。

出土現場

       

西に比叡山、東に三上山(近江冨士)を見渡すことができる農地で、傍を新幹線が通っています。絶景の場所であったと想像できます。

河川改修に伴い約6千㎡を調査。溝跡は幅約1m〜約3.5m、深さ約20cm〜40cm。飛鳥時代の築地塀跡とみられます。

蜂屋遺跡がある栗東市北部は、古代において「物部郷」と呼ばれ、587年に仏教の受容をめぐって蘇我氏と争った物部氏の領地でした。

蘇我馬子との争いに敗れて滅ばされた物部氏の領地が蘇我氏側についた厩戸皇子(聖徳太子)の所領となり、皇子建立の法隆寺に献上されたようです。

747(天平19)年の奥付がある『法隆寺伽藍縁起并(ならびに)流記資財帳』によれば、奈良時代にはここに法隆寺の水田や庄倉があったとされています。     

今回見つかった遺跡は、この地域と法隆寺との関係性を考古学的にあとづけるとともに、法隆寺との密接な関係が飛鳥時代から続いていたことを示すものといえます。

自宅から自転車で約10分、しかも地下精々50cm深さの所に、飛鳥時代の厩戸皇子(うまやどの 聖徳太子)、蘇我氏、物部氏、仏教伝来などと結びつく遺跡が突然目の前に現れてビックリしております。今後の調査の成果が楽しみです。

今年も全国で遺跡調査が行われ貴重な資料が多く見つかったようで、年度末にかけてそれらの成果発表が行われます。

発掘場所は私有地が多く、河川・道路・宅地開発などの際しか行えないのが実情です。加えて、発掘作業要員の確保が年々難しくなっているようです。厳しい屋外作業であること、賃金の低い事、長期間にわたることなどがその要因のようです。

 

こうした皆さんの地道な働きが新しい歴史の発見に繋がっていることを肝に銘じておきたいと思います。

参考資料≪滋賀県保護協会現地説明会資料、滋賀県の地名、毎日・日経・京都・朝日の各新聞、など≫

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