JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Mar. 2019

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■ 酒飲みの小さなエピソード 野崎順次

若いころ、しょっちゅう、子供たちと近くの酒屋の自動販売機に行った。俺はワンカップ、子供たちはジュースを立ち飲みした。一度、近くのセレブな奥様が通りがかり、思わず会釈をしたが、奥様は知らぬふりをして遠ざかった。

よほど気の合う友達と一緒でなければ、そそくさと一人酒を好む。若いころは、会社の行き帰りのJR駅のキオスクで毎日のようにチューハイを立ち飲みした。ある日、いつもより1時間くらい遅く寄ると、オバちゃんに「今日は遅いね」といわれた。常連扱いか!

同じように会社の近くのコンビニでも立ち飲みをよくした。店員の若い男と顔見知りになったというか、俺に関心を示しだした。ある日、朝早く、電池か何かを買いに行くと、「チューハイは飲みませんか。」とにやつきながら尋ねるので、「他人のことはほっとけ。」と諭した。

ある夏の日、古市古墳群を撮影して、夕刻、道明寺交差点前のコンビニでチューハイのロング缶を買って、表で一気に飲んだ。1分もかからなかった。すると、横にいた労務者風のおじいさんが「にーちゃん、ええ飲みっぷりやなあ。」と褒めてくれた。

若いころ、コンビニは少なく、酒類は酒屋か自動販売機で買うのが普通だった。家の近くに酒屋が3軒あった。いずれとも顔見知りになり、時には財布を忘れていったこともあるが、「お金はいつでもいいですよ。」といってくれた。3軒とも!

阪神大震災のずっと前のことだから、1985年あたりか、10月のある日曜日、自宅から神戸方面にサイクリングにでかけた。旧阪神国道の御影あたりで、灘五郷利き酒めぐりの一行に出会った。毎年、開催されているらしい。酒好きがぞろぞろ歩いて、各酒造で利き酒をする。無料だが、お金を出せば、もっと飲めるし、おでんやするめなど酒の肴もある。自転車をおいて参加した。全部で数十人くらいか。3〜4kmの工程で酒造数か所をまわる。結局どれほど飲んだか、分からないが。よく飲んだ。終盤は酔っぱらいの大行進となった。中にはへたり込んで歩けなくなった老人もいた。俺の記憶はこのあたりからぼやけてきた。断続的に残る記憶をたどると、三宮まで行って、車しか通れない連絡橋で、ポートアイランドから六甲アイランドに渡って、…………………… 翌朝、無事に自宅のベッドで目覚めた。

最近、京都の大徳寺に行った。夕刻、総門を出るときには、酒が恋しくなっている。と、目の前に酒屋があった。地酒の4合ビンを買って、コップを借りて、半分飲んだ。店のおかみさんが「前にも来はったねえ。」という。そういえば、来たような気がする。その時は表で家内を待たしていたような気がする。「家内と来たときかなあ。美しい女の人と一緒やった?」と聞くと、愛想よく、「えーそうどしたなあ。」というから、「そしたら、俺と違う。」と話をわざとそらした。その話を家内にすると、以前、この酒屋で冷酒を飲んだことが2回あったそうだ。今度で3回目か。

JGレポートが残っているので、月日日時は明らかである。2012年8月16日(木)というからお盆休みの最中に河内長野にいった。どこかを回って、最後に烏帽子形八幡神社を目指して高野街道をたどった。午後3時くらいに天野酒で名高い造り酒屋「西條合資会社」に寄って、行く道を確かめた。教えてもらったお礼も兼ねて、お酒を飲んだ。3合くらいかなあ。3時半ころ、無事、神社に着いて、少し撮影してから、東屋風の休憩所で一息つくと酔いがどっと回って眠ってしまった。起きるとすっかり暗くなっていて、撮影をあきらめて帰宅することにした。家に帰って撮影機材を片付けていると、動画撮影時のマイクに付けていた愛用のウィンドスクリーン(手製)の無いのに気がついた。あの神社休憩所辺りで落としたに違いない。そこで、2日後の18日(土)に早起きして再訪した。午前7時頃に着いた。休憩所の長椅子の下にウィンドスクリーンは残っていた。ちょうど宮司さんが境内の掃除をされていたので、お願いすると、瑞垣内での写真撮影を特別に許可してくれた。本殿は国重要文化財である。早起きは三文の得ということか。

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