JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Mar. 2019

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■ 那珂八幡古墳を見る  田中康平

福岡市の古墳を気の向くままに見ているが今月は博多駅に近い那珂八幡古墳というのを見に行った。

ネットで北部九州の古墳のことを書いたものを探していたら、福岡の古墳の一覧図に行き当たって、見ると那珂八幡古墳というのがこの辺りでは最大級でしかも最古級であると記されており気になっていた。(図は「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告Ⅰより)

 

たまたま福岡市博物館に行くことがあって、みると最近の発掘調査の成果の一つとして那珂八幡古墳についても展示されている。現地説明会資料というのも掲示されていたが何と先週あったばかりでがっかりする。よっぽどアンテナを張っておかねば現地説明会予定は引っかかってこないようだ。

   

気を取り直して説明を読むと、詳細な形状が明らかになり最古期の特徴のある古墳とわかったとある。時代は3世紀後半から末ということのようだ。卑弥呼の時代の直後に当たりうる。三角縁神獣鏡も出土している。これは面白そうだ。

那珂八幡古墳の近くには日本最古期の水田跡の遺跡である板付遺跡や弥生時代から7世紀に至るまでの遺跡が重層している比恵遺跡群もある。あたり一帯は魏志倭人伝に言う奴国の中心地ではないかと思える。しかし福岡市の中心部に近い。長い歴史の中で破壊や石の流用も行われてきたようで切れ切れの遺物しか残っていないのがもどかしい。

とにかく現地を見てみようと日を変えて出かけた。福岡空港の滑走路とJR新幹線・鹿児島本線とに挟まれたエリアだ。恐らく空港の建設ではもっと多くの遺跡が出ていたに違いない、板付空港として朝鮮戦争時には米軍に多用されていたようでこの時期に空港整備も進み遺跡も破壊されたのではあるまいか。平坦で最もいい土地が空港になっている。

  

那珂八幡古墳は街中だけに専用の駐車場は無く近くのコインパークを探してクルマを止める。後円墳部のみが形を残して頂上部に八幡神社の社殿がある。社殿の下に主被葬者が埋葬されているようだが発掘されていない。中心から外れたところにも埋葬がありここから三角縁神獣鏡が出ている。相当有力な勢力だったと思われる。

頂上に神社があってかろうじて後世まで残った古墳のようだ。

魏志倭人伝では 卑弥呼は大いに墓を作りその径百余歩 とされ普通にみて歩=6尺、1尺=0.24mの換算では径150m位になる。但し魏志倭人伝の距離の記述はそのまま換算すると非常に大きく、距離の記述と現実の距離とが対応できる短里を使っているとも考えることもできる。もし短里で全て通っているものなら墓の径は約30mとなる。この古墳は後円部径が約52mでこの3倍のサイズかはたまたこれよりひとまわり小さい墓ということになる。卑弥呼の墓が30mではどうみても小さいが、ともかく色々議論が尽きないのは墓一つとってもそうかと思わせる。

いずれにせよ九州は邪馬台国論争が身近に感じられて面白い。暫くはあちこち訪ねてみようかとも思っている。

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