JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine June 2019

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■ 我楽多会横須賀ツアー(前篇) 野崎順次

われわれは兵庫県立神戸高等学校16回生で1964年に卒業した。我楽多会は、旧2年4組(担任は木村先生)の男子有志の集まりである。現在の年齢は73〜74歳。詳しくは、2013年12月のウェブマガを参照されたい。

メンバーは計19名であったが、一人亡くなり、一人去って、現在は17名である。

横須賀在住の小舟君の企画で5月31日と6月1日の両日に横須賀を巡ることになった。小舟君は国際的土木コンサルタントとして活躍し、退職後よこすかシティガイド協会に属している。今回の参加者は、大西、小舟、田畑、中野、坊岡、野崎の6名である。体調不全や月末多忙で参加できない会員が多かったのは残念であった。

令和元年5月31日

京急汐入駅に着き、まずは軍港めぐりの45分間クルージングに向かう。

   

右手に米軍横須賀基地を見る。潜水艦だけは日本艦。1500億円もするイージス艦が7隻停泊中で、計1兆500億円の眺めとか。

     

出港する日本の護衛艦「ゆうぎり」、北部埋め立て地(夏島町、追浜町)の諸施設

   

笑顔を絶やさぬ一行だが、船上ではそれぞれの思いにふけることもある。

    

自衛艦隊司令部前の潜水艦救難艦「ちよだ」、新井掘割水路を通って、掃海艇「はつしま」、掃海艦「ひらど」「あわじ」

      

護衛艦「はたかぜ」、補給船「ときわ」

   

ヴェルニー公園

日本の近代化を支援したフランス人技術者レオンス・ヴェルニーに名前が由来する公園である。ヴェルニーは1865年から1876年にかけて横須賀造兵廠、横須賀海軍施設ドックや灯台、その他の近代施設の建設を指導した。われわれ関西人には耳慣れない外人で、おおいに勉強になる。戦艦「陸奥」の主砲身はでかい。

    

ヴェルニー記念館

フランス・ブルターニュ地方の住宅を模した急傾斜の屋根と石の壁が特徴で、ヴェルニーの功績を紹介している。また、旧横須賀製鉄所(横須賀造船所を経て横須賀造兵廠)で使用されていた3トンと0.5トンの鍛造・圧延用スチームハンマー(国重要文化財)が移設保存されている。

    

どぶ板通りは、スカジャン発祥地にして横須賀きっての歓楽街である。夜になると、基地からのアメリカ人であふれる。

      

三笠公園。戦艦「三笠」が保存・公開されている。日露戦争日本海海戦でバルチック艦隊に完勝した時、連合艦隊司令官東郷平八郎が乗船指揮した旗艦である。東郷平八郎の身長は153cmで低いなと思ったが、これは当時の日本男子の平均値である。モールス信号の利用価値として、人前で卑猥な言葉を伝達できると、不良じーさんがつぶやいた。例えば、トンツートントントン、ツートントントンツー……。

        

中甲板の資料展示

    

この後、汐入駅前のホテルにチェックインし、再び、横須賀中央駅あたりまで歩いて、飲み放題魚料理の宴会を開いた。

疲れていたせいか、カメラのフォーカスポイントがずれたことに気付かず、宴会の写真は全てピンボケ。

ホテルに帰還後、この日の万歩計は2万を超えていた。

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