JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Nov. 2019

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■  竹内街道の核心部を歩く 野崎順次

竹内街道は、推古天皇の世、難波と飛鳥を結ぶ大道として敷設されたという。日本最古の官道である。是非歩いてみたいと50年前から思っていたが、このほど、その核心部たる竹内の集落を歩いた。

その直接のきっかけは、幼少期を竹内で過ごした司馬遼太郎の「街道をゆく」第1巻第2章である。

「村のなかを、車一台がやっと通れるほどの道が坂をなして走っていて、いまもその道は長尾という山麓の村から竹内村までは路幅も変わらず、依然として無舗装であり、路相はおそらく太古以来変わっていまい。それが竹内街道であり、もし文化庁にその気があって道路をも文化財指定の対象にするなら、長尾―竹内間の本の数丁の間は日本で唯一の国宝に指定さるべき御影であろう。」

令和元年10月19日竹内集落の東端に着いた。この道が竹内街道である。

集落内を進む。道が直線ではなく、右に左に少しぶれて続くのがよい。まさに街道である。

松尾芭蕉は何度も竹内を訪れた。特に「野ざらし紀行」の旅の途中に門人の千里の実家に立ち寄ったが、その折に詠んだ句が、「綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥」である。親しくなった村の庄屋さんに贈ったそうだ。その句碑が綿弓塚である。その隣には竹内街道の資料を展示した休憩所がある。

さらに西へ、竹内峠方向に進む。坂がきつくなる。

上りきると国道166号線であり、竹内の集落のほぼ西端となる。古い立派な民家が残っている。

166号線を通って戻る。その途中で北側から見た竹内集落。

同じ本の中で、司馬遼太郎はこうも書いている。

「昭和十八年の晩秋、竹内へ登るべくこの長尾の在所までゆきついたとき、仰ぐと葛城山の山麓は、(中略)声をのむような美しさであるようにおもえた。

くりかえしていうようだが、その葛城をあおぐ場所は、長尾村の北端であることが望ましい。それも田のあぜから望まれよ。」

この場所はどこか?現在の地図で見ると、長尾地区の北端で近鉄南大阪線より西だとすると、葛城市役所當麻庁舎の北側あたりかと思った。ところが現地に行くと、目の前に新池という溜め池の土手が邪魔して西側がよく見えない。そこで、長尾地区でなく、當麻地区の南端になるが、その溜め池の土手に上った。そこから見た東側の奈良盆地と西側の二上山葛城山である。

その後、写真を整理していると、来しなに近鉄南大阪線より撮ったのがよかった。

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