JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Jan. 2020

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■ 山科~伏見の天皇陵 中山辰夫

京都の山科から伏見にかけての地域は、古今より政治・経済・交通の重要な拠点として歴史上にも名を成しています。
京都地下鉄東西線の山科駅から六地蔵駅・6駅までの間をブラブラ散策しました。
この区間にはJR奈良線、京阪電車が相互乗り入れをしており交通も便利な地域で、名の通った多くの神社・史跡・名所があります。
 
この地域については既に多くの投稿が行われています。醍醐寺、随心寺、勧修寺、伏見桃山城、日野法界寺、少し足を延ばした御香宮神社、乃木神社、藤森神社、聖母女学院、伏見稲荷、東福寺、京都疏水、などとつながり見どころが一杯です。
さらに多いのが天皇陵とその関連です。陵墓が多いことから歴史の深さが窺えます。

出合ったものだけを紹介します。

北朝2代 光明天皇陵、北朝3代 崇光天皇陵(大光明寺陵) 円丘 近くの幼稚園園児の散歩コースです。土手歩きが楽しいようです。
   

第122代 明治天皇陵~昭憲皇太后陵 上円下方 いつ来ても修学旅行生やウオーキングの人達、参拝者で人出が絶えません。
    

第50代 桓武天皇陵柏原陵 円丘 明治天皇陵への参道に入るところを左折します。昨年の台風19号で倒木多く、一時通行止めが続きました。
   

第54代 仁明天皇陵 方形 名神高速道路手前にあって、住宅地と名神にはさまれ窮屈そう。
  

深草十二帝陵 方形堂 室町期の天皇がまとめられている。
  
北朝1・4・5代、第100代~第107代、12名の天皇が祀られている。

第60代 醍醐天皇 後山科陵(のちのやましなのみささぎ)円形 児童公園が隣接している。
     
長く醍醐寺の管理下にあったため、所在が確定できる数少ない平安時代の陵の1つである
文化山陵図に描かれた醍醐天皇陵
 
三丈(一丈は約三m弱)四方で深さ九尺の穴を掘り、そこに一丈四方で高さ四尺三寸の「校倉」を収め、さらにその中に天皇の棺を入れる。
そこには硯、書物、黒漆の箱、琴、笛など天皇の生前の愛用品が副葬品として添えられた。そして、山陵の上には三本の卒塔婆が建てられたとある。『図説天皇陵-別冊歴史読本』より

第61代 朱雀天皇陵 醍醐陵(だいごのみささぎ)円丘 周りは住宅地となっており、奥に天皇陵がある。
     

歴代124件の天皇陵のうち、山科~伏見には23件の陵墓があります。住宅に囲まれ、遠慮しがちな佇まいも多いです。
付近の住民と共存して、現在に至っています。

第38代 天智天皇陵 山科陵 上円下方(八角)
       
山科疏水に沿って延々と石柱が並ぶ所が天智天皇陵。
桜の時期は勿論四季を問わず観光客があり、参拝する人も多い。また疏水縁の散策道は周辺の人々の散歩やウオーキングで早朝から賑わう。

「文化山陵図』に描かれた天智天皇陵
 
考古学的には御廟野古墳と呼ばれます。墳丘の本体は対辺間の長さ46mの八角墳で、その下に一辺70mの方形墳が付く。被葬者が確認される飛鳥時代の天皇陵として、この古墳の価値は高いとされます。
「立ち入り禁止」という現実の中では、天皇陵は疎遠になりがちです。明治天皇伏見桃山陵は豊臣秀吉が晩年を過ごした伏見城内郭の跡とされます。その他諸々の遺構が隠されていると言えます。
各々の天皇陵も、今まで表面に出なかった意味合いを多く持っているに違いないと思います。

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