JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Jan. 2020


■ 春日若宮おん祭 大野木康夫

12月1日から18日にかけて行われる春日若宮おん祭は、平安時代後期から続く伝統あるお祭りで、令和元年で884回目だそうです。

12月17日に、お渡り式を見に行きました。

お渡り式では、馬50頭、1,000名からなるお渡り行列が、奈良県庁前からJR奈良駅、三条通を通って春日大社一の鳥居内の御旅所まで練り歩くということでした。

当日は、春日大社一の鳥居内の影向の松の下で行われる松の下式を桟敷から見るつもりでした。

能舞台の背景には「鏡松」が描かれていますが、鏡松は舞台正面に影向の松があってそれが映った姿を描いたものです。

能楽は大和猿楽四座(金春座、金剛座、宝生座、観世座)から起こっていますが、おん祭では室町時代の筆頭である円満井座の流れをくむ金春座が松の下式の猿楽奉納で「弓矢立会」などを演じるので、それを一番楽しみに待っていました。

 

しかし、当日は雨が降ったため、松の下式そのものがほぼ中止となってしまいました。

行列も、馬に乗るはずの巫女が徒歩になったりして、本来の姿とは程遠いものでした。

    

猿楽も、金春流宗家はお渡り行列に加わらず、大蔵流狂言師の開口のみ披露されました。

 

満足な撮影ができなかったので、御旅所祭を見に行くことにしました。

御旅所祭では、御旅所の芝舞台で古くから伝わる文化芸能が延々と奉納されます。

芝舞台の周囲も芝生になっていて、観客はそこから芸能を見る様は、「芝居」の語源となっている風景です。(同じような芝舞台での芸能奉納は広く行われていたと思いますので、この祭りが芝居の語源とは思いません。)

また、御旅所の入口には埒(らち)が設けられていて、私たちが松の下で行列を見ている間に、金春流宗家が埒を明けて中に入り拝礼をします。これは「埒が明く」の語源の一つと言われています。

しかし、参道の埒は最後まで明かず、いつのまにか参道中央の行列が通るところが開放されて前に人が沢山入ってからようやくそのことに気付いたため、いいポジションから撮影することができませんでした。

献饌ノ儀

 

神楽

八人の巫女による八乙女舞です。

  

東遊

元は東国の風俗舞で、舞人四人は童児です。

  

田楽

  

細男(せいのお)

八幡神系の芸能です。

  

神楽式

能楽の翁を略式にしたものです。

明治時代に金春流宗家によって定められました。

今も金春流宗家が奉納します。

  

この後、和舞(やまとまい)、舞楽と続きますが、降り続く雨と夜の暗さのため、早めに切り上げて帰りました。

お渡り式が雨で簡素になったのが大変残念でした。

 All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中