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Monthly Web Magazine Feb. 2020

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■ 令和2年2月 木屋町通―立誠小学校 中山辰夫

久しぶりに木屋町界隈-高瀬川周辺を散策しました。木屋町通は二条通から高瀬川沿いを南に向かって続く通りです。 その昔、角倉了以が大坂から伏見港を経て、物資を運び込むために開削したのが高瀬川。その東岸に木屋町通は造成されました。

  

変わりない佇まいが続く中で増改築工事物件が目を惹きました。元番組小学校の一つ、立誠小学校の跡地を活用した複合施設が建設中でした。

   

禁門の変による街の荒廃や、遷都で都を失った京都に、1869(明治2)年、町衆たちの手によって、当時の住民自治組織であった「番組(町組)」を単位として、64の小学校が建立されました。これらの小学校は、1872年(明治5)年の、国家による学校制度の創設に先立つ、日本で最初の学区制小学校でした。

立誠小学校は1869年(明治2)年下京第6番組小学校として、かつてはオランダ屋敷だった私塾を使用して開校されました。

 

小学校は改称を繰り返し、1877(明治10)年、当時の槇村知事が論語から「立誠」と命名されました。「人に対して親切にして欺かないこと」を意味するとか。その後校舎の増改築を繰り返し、現建物は1927(昭和2)年完成した校舎です。

 

木造住宅が多かった時代の鉄筋コンクリート造の校舎であたため異彩を放っていたとか。

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京都市内に現存する最古の鉄筋コンクリート造校舎は元・立誠小学校と呼ばれ、1993(平成5)年3月の閉校後さまざまなイベントに使用されてきました。

1897(明治30)年京都電燈株式会社の中庭(現在は小学校グラウンド)にて、日本で初めて映画の試写実験が行われたことから日本映画発祥の地とされており、最近まで、3階で「立誠シネマ」が開催されていました。

 

学校の敷地は土佐藩邸跡です。通り一帯は、幕末の志士ともゆかりが深いため、通り沿いに多くの石碑が建ち並んでいます。 立誠小学校玄関前には角倉了以の碑があります。

 

立誠小学校建屋は、これまでも地元に密接した諸行事や催しの階上に使われ、市民に親しまれてきました。 現在進行中の工事は、京都市が所有する番組小学校跡地を「文化的拠点を柱に、にぎわいとコミユテイの再生」を目指して行う事業です。 2020年7月中旬の開業を目指し、ホテル、商業施設、図書館などの複合施設「ザ・ゲート立誠京都(仮称)」を建設します。

  

昨年、番組小学校創設150周年の式典が行われました。 1869(明治2)年に,日本初の学区制小学校である64の番組小学校が全国に先駆けて町衆により創設され、昨年で150年の節目の年を迎えました。 番組小学校は、明治維新後の変革期に京都の先人たちが教育にかけた英知と情熱の証として、世代を超えて脈々と受け継がれ,子どもたちを社会の宝として地域全体で育むベースとなったとされています。 その64校は、長い期間の中で統廃合が行われ、姿を消したものも多くあるようです。また、使用目的を変えて存続しているのもあります。

2004年 元開智小学校→京都市学校歴史博物館

   

2006年 元龍池小学校→京都国際マンガミュージアム

  

2008年 元明倫小学校→京都芸術センター

   

中には国登録文化財に指定されている遺構も残っています。機会があれば辿ってみたいです。

 

 

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