Monthly Web Magazine Nov. 2021
■ 宮内庁管理古墳の墳丘を窺う(奈良県編) 野崎順次
宮内庁の管理する古墳は樹木に覆われており、もちろん立ち入り禁止で、なかなか墳丘がよく見えないが、なかには、何とか観察出来る個所がある。とりあえず三例ご紹介しよう。
天理市中山町字西殿塚
手白香皇女衾田陵(西殿塚古墳)
この西殿塚古墳は、古墳時代前期前半の3世紀後半頃の築造と推定される。箸墓古墳(桜井市箸中)に後続するヤマト王権の大王墓と目されている。全長約230mの前方後円墳で、大和古墳群中最大である。非常に古いにもかかわらず墳丘の段築がよく残っている。橿原考古学研究所の赤色立体図によれば、形状はユニークかつバラエティに富んでいる。段築は全長にわたり東側3段、西側4段で、後円部と前方部の上に方形の壇がある、などなど。
墳丘がよく見えるのは東側で、南の拝所から細い路が続いている。1700年以上前の地形がよく残っているのには感動する。
奈良市山陵町
称徳(孝謙)天皇高野陵(佐紀高塚古墳)
佐紀盾列古墳群の西群に属する全長127メートルの比較的小さい前方後円墳。後円部は直径84メートル、高さ18メートル、前方部は幅70メートル、高さ13メートル。地図で見ると、後円部の北と東に周濠が巡っている。
佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)と佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)の間の道は奈良市屈指の散策路であるが、そのまま南に進むと称徳(孝謙)天皇高野陵の後円部の東側に出る。柵の向こうに墳丘の高まりが見える。柵の切れている個所もある。周濠のくぼみがあるが、雨の日にもかかわらず、水は溜まっていない様子だった。
明日香村野口
天武天皇・持統天皇檜隈大内陵(野口王墓)
墳丘は現在東西約58メートル、南北径45メートル、高さ9メートルの円墳状である。本来の墳形は八角形・五段築成、周囲に石段をめぐらすとされる。内部は全長約7.5mの横口式石槨で、2室には、天武天皇の夾紵棺と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められていたが、『阿不幾乃山陵記』に文暦2(1235)年に盗掘にあったと記されている。
先日、久しぶりに飛鳥駅から猿石、鬼のせっちん・まないた、亀石の田園コースを歩いた。途中で天武・持統陵へ寄り道したら、古墳の後ろ側に小道が続いていた。そこから円墳状の高まりがよく見えた。ボランティア説明員のおばさまによれば、一部に段丘の石段が露出しているそうだが、見つけられなかった。
参考資料
ウィキペディア「西殿塚古墳」「野口王墓」
報道発表資料 H24.06.05.
「箸墓・西殿塚古墳赤色立体地図の作成」奈良県立橿原考古学研究所・アジア航測株式会社
2010年の奈良の実景ウェブサイト
あすかナビ
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