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Monthly Web Magazine  Apr. 2022


■ エッセイ「父」……隅田川花火大会…… 柚原君子

家庭にはそれぞれの色あいがある。舅が家長に君臨して家族全員が家来のように動き回っていたり、夫がまるっきり子供の一員の位置づけであったり、あるいはオットリしている女房が実は陰の参謀だったり……。

誰がどのような役回りであろうと、ほどほどの笑顔と家族同士の助け合いが生じていれば、家庭がどのような色合いに染め上がろうと色は色である。

私が育ってきた家庭では母の存在感が薄く父ばかりが目立っていた。それは、父が何でも采配をしなければ気がすまない性格だったのか、あるいは姑同士の争いごとで離婚を経験したことを繰りかえすまいとして、家庭内のことは自分が率先して仕切っていったあげくのことだったか、あるいは、もしかしたら母そのものが、父のパートナーでいるよりも、父の庇護の元に有ることを好んだ結果だったのか……これらの要素が綯い混ぜ合わされて作られた私の生家の色合い。何色と表現したらよいのかわからないが、母親的役割の部分にすら父が勇んで登場してきた家庭は、やはりちょっと特殊な色合いだったのではなかったろうか。



父が子供たちの父兄参観にすら出没して動き回り、生活の中では姑と妻とを表舞台に出さない日常であったから、どの想い出を探っても父がにぎやかに登場してくる。
下町の小さな木造家屋で大衆食堂を営んでいた。家の形は道路に面して店と調理場の入り口があるのみで、一般住宅のように玄関は無かった。来客は調理場の流し場の脇をすり抜けるように入ってきて、二階にどうぞ!ということになっていた。
高校を卒業した夏に友達が数人遊びに来た。遅れてあと一人が来るから、と調理場にいる父に告げてあった。
30分後、来客の様子が階下から伝わってきて、父が何か話している声がした。そのうちに階段の方からコツンコツンという音が響いてきた。音は段々にあがってきて、やがて引き戸が開いた。友人のY子が立っていた。ハイヒールを履いたままだった。
「どうしたの!」
私たちはY子の履いているハイヒールを指差して素っ頓狂な声を上げた。
「やっぱなぁ。おじさんに嘘をつかれた。だっておじさんは『うちは最近全てを外国式にしたから、階段は靴を履いたままで上がってもいい』って言ったんだよ」
「だって他の人の靴が下に脱いであったでしょ」
「誰のも無かったよ。おじさんが隠したんだ」
友達はハイヒールを抱えて階下に戻しに行った。Y子の抗議する声と父の大きな笑い声が聞こえた。



父は人寄せが好きで、面白いことが好きで、サービス精神過剰で、人の輪に入りたがり、たとえ娘や息子たちの若い友人でも、自分も仲間足りえると思っていたところがあったから、私の友人などは前述のほかにも父との想い出を共有していることが多い。父の葬儀のときは私の友人たちも大勢集まってくれて、若い層にも見送られて逝った父だった。

父が亡くなる数年前の夏――

隅田川の花火大会を真下で見たいから台東体育館の手前の野球場のフェンスの脇を陣取っている、と父から電話があった。公衆電話からで、何度も何度も仕事をしている子供たちの家庭に電話が入り、場所の詳しい説明をしてうるさかった。
暑いさなかの地元の花火大会にはそれほどの食指も動かなかったが、父のやいのやいのの催促で出かけることになった。

花火会場はものすごい人出で、父が陣取った場所までたどり着くのに30分はかかった。広く取ったので誰を連れてきてもよいとのことで私の家族も友人も、それから大衆食堂に来るお客さんたちもみんな一緒だった。

おまけにとても良い場所取りを証明するかのように、NHK7時のニュースのテレビカメラまでがいた。花火が上がると観覧の様子を撮るために私たちにライトが当てられた。まぶしくて花火がよく見えずみんなは手でよけたりしたが、父はカメラのほうをまっすぐに見て至極満足そうだった。

NHKの取材班が退去した後の花火は、さすがに一等地の醍醐味であった。

シュルシュルシュルの音と共に一筋の光が空に登っていき、やがてドッカ~ン☆!の炸裂音と共に空一面に華が開く。次々と上げられていく音が空気を引き裂いて空のかなたで弾ける。小輪や大輪がいくつもの色を重なり合わせて空から降ってくる。枝垂れ柳は満天に広がり、見上げる観客たちの横顔まで真っ赤に染めぬいた。仕上げの連発打ち上げは人々の歓声と大拍手の坩堝の中だった。

花火が終わって、もやっていた煙雲が四方に散った。やがて何事も無かったかのような夏の夜空に戻った時、フーと父のため息を聞いた。
花火を真下で見たい、とあたかも自分のわがままのように見せかけて、炎天下の日中に陣地取りの番をしていた父。まったくもう……と言いながらも寄り集まった一族、知り合い、友人。後にも先にもあの様なダイナミックな花火は見たことがない、と今でもみんなが言う。ついでに父の想い出も語られる。

あれから何度目かの夏が来て、私たちも父の年齢にかなり近づいた。父ほどの過剰サービス精神は受け継げなかったが、それでも弟の所作や妹の考えなどに、父の色合いを鮮やかに感じとることがある。もちろん私自身の中にも。



厩橋と桜橋と二つの会場から打ち上げられる2万発の花火。今年はどのような彩だろうか。

(初出:2003年7月木曜日のエッセイ)

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