Monthly Web Magazine May 2022
■蟇股あちこち 25 中山辰夫
今月は和歌山県下の神社です。広八幡宮(1413)、鞆淵神社(1462)、丹生都比売神社(1469)、白岩丹生神社(1560)、十三神社(1561)です。
和歌山の神社巡りは疲れます。山の中腹や高台に社殿が存立するところが多く、参道も急坂で長いです。
1500年後半に再建された多くの神社は装飾彫刻が豊かで又類似性もあるようです。
当時の紀州大工は、特に装飾彫刻に優れ、桃山建築の先駆けの役目を果たしました。
1413 広八幡神社 本殿 若宮社・天神社・高良社を含む (1980年から1981にかけて修理保守工事が行われました)
和歌山県有田郡広川町上中野206
『八幡宮記録』には、欽明天皇の552年に創建されたとあるようです。河内国の誉多八幡宮より勧請されたと記録されています。
神社の創建は鎌倉時代初期の1221年以前と推定されています。
当神社は村の鎮守で無く、荘園の中心的なもので、地方の有力な土豪層が寄進、維持に当たってきました。
近世になっても、浅野幸長や紀州徳川家からの寄進や援助を受けていました。
江戸時代には、多宝塔、鐘楼、西門、観音堂がありましたが、移築されました。
中門(拝所)と蟇股
本殿に寄り添うように建てられた摂社、若宮社・高良社・天満社(いずれも国重文)が並んでいます。
全影 右より若宮社・本殿・高良社・天神社 左よりより天神社・高良社・本殿・若宮社
1413 本殿 国重文 建立:1413 三間社流造 組物で三斗 中備蟇股 庇繋虹梁 妻扠首組 桧皮葺
大型の三間社流造で木割も大きく、蟇股の輪郭、内部彫刻共に卓越したものがあります。
棟札が多く残されており、修理の変遷がうかがえます。1776年には紀州徳川家より原木の寄付や大工棟梁の応援を受け、大規模な改修が行われました。
本殿向拝と蟇股 南側・中央・北側 (現在と修理工事竣工時)
本殿身舎廻りの蟇股 南側・中央・北側 (現在と修理工事竣工時)
若宮社 国重文 建立:1493 一間社隅木入春日造 桧皮葺
高良社
天神社
向拝の蟇股 現在表~竣工時表~竣工時裏
身舎の蟇股 正面(現在~竣工時) ・ 南面(現在~竣工時)
身舎の蟇股 背面(現在~竣工時)・北面(竣工時)
境内の右端に建っている建物(元幣殿とか)に見る蟇股
楼門 国重文 建立:1475 三間一戸 一重 入母屋造 本瓦葺
現在下層は随身門として板壁に囲まれていますが、天文以前は棟の中柱すらなく、梁間に跳ばした虹梁によって、吹き放しの空間が造られていました。
軒もさらに深く、上下層ともに隅柱には伸びがあり、類例の少ない形式を併せ持つ楼門です。
拝殿 桁行二間 梁間三間 一重 入母屋造 妻入 柿葺
写真53
妻入りの屋根をかけ、角柱、舟肘木、二軒疎垂木、小舞裏の軽快な構造で、正面が舞台造途なっており拝殿としては珍しいです。
舞殿 県指定 建立:1765年 桁行三間 梁間三間 一重 切妻造 妻入 柿葺 室町から伝わる田楽のためのもの。
広八幡神社は令和2年、神社名が『廣八幡宮』と150年振りに往年の社名に戻りました。明治維新時に広八幡神社と改変しました。
江戸時代の様子が古絵図に残っています
本殿鰹木にある「三宝鷲珠」
本殿屋根の棟の側面と鰹木の側面に合計20カ所見ることが出来、大層珍しいです。
1462 鞆淵八幡神社 本殿 修復工事 1995年^1997年に実施
和歌山県紀の川市中鞆淵
鞆淵八幡神社は那賀郡紀の川市中鞆淵に鎮座します。
この地域は1008年に石清水八幡宮の社領となり、1228年には石清水八幡宮から御輿(国宝)が送られています。
当社は八万山の中腹にあって、県道から約200段の階段を経て境内の中腹部に至ります。
創建は詳らかでないですが、1008年には八幡神社領であり、1228年には石清水八幡宮から神輿(国宝)が送られています。
神社には今なお中世宮座の組織と行事が連綿と継承されています。
本殿 国重文 再建:1462 三間社流造 身舎側面二間 庇前室 向拝一間 檜皮葺 南面
木部はベンガラ塗、木鼻・蟇股と巻斗・手狭・妻の絵様肘木は単彩色。組物出三斗 中備蟇股 庇は前面開放側面連子窓
蟇股 身舎斗栱には背面を除く各中備に刳り抜きの彫刻入りの蟇股を配しています。外陣斗栱の中備にも配されています。
向拝の蟇股
外陣
蟇股
内陣の蟇股
内陣東妻の蟇股
内陣西妻の蟇股
向拝木鼻
外陣の蟇股と鹿の彫刻は神社建築の装飾としては最古のものと考えられる。
1469 丹生都比売神社 本殿
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野
神社は標高約450mの山間に忽然と開けた、東西約1.7km、南北約乎。3kmの小盆地にあります。延喜式に記載のある古社です。
境内北端の鳥居をくぐると鏡池と大きな太鼓橋があり、禊橋を渡ると社務所があります。参道の奥まった所に楼門と、神饌所、拝殿が翼廊状に建っています。
楼門の奥、内の鳥居と瑞垣に囲まれた中に一間社春日造の本殿が四棟並列して建っています。
本殿四棟は「丹生都比売神社本殿」として国の重要文化財に指定され、宮殿四基は重要文化財の附(つけたり)指定となっています。
第一殿、第二殿の順に並び、第四殿の左手に若宮が鎮座します。
細部
第一殿(向かって右)と第二殿(向かって左) ・第三段(向かって右)と第四殿(向かって左) 第二殿 正面詳細
第一殿から第四殿は同規模同形式で並列 彩色多様 内殿の春日厨子も秀作です
撮影は取囲んでいます玉垣(瑞垣)の隙間からしか撮影できません。部分々の寄せ集めです
蟇股は向拝の中央と身舎お廻り四面、計五個配されています。
第一殿 国重文 建立;1469 再建:1715 一間社 身舎側面一間 縁三方 中備蟇股 春日造
第二殿 国重文 建立:1469 再建:1486 一間社 身舎側面一間 縁三方 中備蟇股 春日造 木鼻は象鼻
第三殿 国重文 建立:1496 再建:1901 一間社 身舎側面一間 縁三方 中備蟇股 春日造
第四殿 国授文 建立:1469 再建:1469 一間社 身舎側面一間 縁三方 中備蟇股 春日造
蟇股一覧
向拝正面◎ 身舎正面◎ 身舎東側面◎ 身舎西側面◎ 身舎背面
第一殿
第二殿
第三殿
第四殿
楼門 国重文 建立:1499 三間一戸 入母屋造 檜皮葺 翼廊が楼門の左右に立てられています。
1560 白岩丹生神社 本殿
和歌山県有田郡有田川町小川2628
当社の創立は不明ですが、もとは白岩東の白岩川のほとりにあったものを、1496年移してしてきたとされます。1960年に修理工事が行われました
社殿
本殿 国重文 建立:1560 一間社 身舎側面一間 縁三方 浜床・浜縁付 春日造 組物出三斗庇連三斗 中備蟇股 桧皮葺
残された棟札から再々屋根葺替えや修理が行われたことは明らかです。
三方に擬宝珠高欄を付けた縁をめぐらせ、脇障子を構え、浜縁・床を眼受けて木階を付けます。
柱間装置は、正面に堅格子引戸四枚を入れ、鴨居と虹梁間に嵌めこみの透彫の彫刻を入れます。
身舎蟇股
身舎正面欄間
1561 十三神社 本殿
和歌山県紀美野町野中
この本殿で特に注目されるのは、豊麗な彩色です。
神社本殿でも扉内側や内部壁画に彩画された中世以前の遺構は知られていますが、外面全面に彩色、彩画されたものは近世以降に見られる特色で、中世末のこれほどの色彩装飾は珍しいとされます。神社装飾の先駆けと称されています。
十三神社は天神七代、地神五代の緒神を祀り、神野郷十二社と称し、784年の創建と伝え、十二社大権現とも呼ばれたと伝えます。
その後、近世初頭に河野氏がこの地に落ちのび、守護神の大山祇神を合祀して十三神社と改めたとされます。(諸説あるようです)
拝殿の奥に社殿があります。社殿の周囲を取囲む瑞垣の外から参拝します。 鈴門の妻には大きな板蟇股。
当社には本殿と摂社二棟の三棟が並立し、いずれも重文に指定されています。建立年代は三殿とも同時期と思われ、1973年に終わった解体工事中に摂社から1561年の墨書が発見されたので、永禄年間(1558~70)であることが明らかになりました。
本殿 国重文 建立:1561 三間社流造 身舎側面二間 浜床・浜縁付 中備蟇股 庇繋海老虹梁 手狭 妻二重虹梁大瓶束 檜皮葺
本殿は三殿中規模が最も大きく、意匠が最も華麗です
細部様式に和歌山様式の特徴あり 内陣三間板扉 銅上部に欄間彫刻があります
本殿は三殿中規模が最も大きく、意匠が最も華麗です。
内部は内外陣に分け、内陣を一段高くして、内外陣境は三間ともに板扉両開きで、欄間に彫刻をはめています。
蟇股 向拝に三個配されています
妻飾り二重虹梁大瓶束と妻壁の七草
向拝の海老虹梁と手狭
花肘木・欄間彫刻。側面壁体 牡丹と獅子、頭貫の竹、幕板の松 虹梁の梅
室町時代末期の本殿で最も近世的意匠を見せる重要な遺構の代表例とされます。
摂社 丹生神社本殿 国重文 建立:1561年前後 一間社春日造
摂社 若宮八幡神社 国重文 建立:1561 一間社春日造
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