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Monthly Web Magazine June 2022


■ 中根金作の庭   野崎順次

重森三玲著「日本庭園歴覧辞典(昭和49年)」を先達に日本庭園を意識して観察し始めたが、その延長でほかの作庭家の作品もみる機会が増えた。その代表的なのが、七代目小川治兵衛(植治)と中根金作である。詳論は避けるが、三玲はこの二人をあまり評価していない。特に中根金作の足立美術館ですら前記歴覧辞典に含まれていない。

しかし、いうまでもなく中根金作は昭和の偉大な作庭家である。

中根金作は、大正6年(1917)磐田郡天竜村下岡田で生まれた。浜松工業高校で図案を学ぶも、父親の会社の倒産などがあり、紆余曲折を経て、20歳前に造園に興味を持った。
以下は磐田市立図書館ウェブサイトの 発見!いわた「磐田の著名人」からの引用である。

「1937年、会社を退社後、東京高等造園学校(現東京農業大学農学部造園学科)に入学。1939年、日中戦争に召集。1941年に解除、復学する。1942年の京都への修学旅行の際、講義や読書からの知識は空虚なものであり、空間に庭を造形する技術を習得できないことを痛感し、卒業後は京都の植木職で現場修行をする道を選ぶ。1943年8月に京都府園芸技手、翌年3月に結婚。同6月に再度、召集される。
1952年に京都府文化財保護記念物係長となり、鹿苑寺(金閣寺)の鏡湖池の修理(1956年)に携わった。1965年に退職し、翌年、中根庭園研究所を発足。海外で多くの日本庭園を作庭し、世界が認める造園家となった。国内の庭では足立美術館日本庭園が有名で「人生の中でも最も充実した会心の作」と言わしめた。1969年、大阪芸術大学教授に任命され、1987年には同学長を務め、国内外の芸術家の育成に情熱を注いだ。また1981年には、故郷の下岡田の宝珠寺の庭園を作庭した。彼が作庭した庭は、国内外に300か所以上にのぼり「昭和の小堀遠州」といわれた。1995(平成7)年3月1日、77歳で逝去。」

最初に植木職の修行をしたことが興味深い。植栽の多彩な使い方の原点か。

私自身が訪れた中根金作の8つの庭で各3枚の写真を選んでみた。

1-安来市 足立美術館 池泉庭園・枯山水・露地 1970年(昭和45年)オープン
絵画のように美しい庭園は国内はもとより海外でも評価が高い。米国の日本庭園専門雑誌が行っている日本庭園ランキングでは、初回の2003年から「16年連続日本一」に選出されている。

   

2-京都市北区 上賀茂神社 渉渓園 曲水庭園 昭和35年(1960)
平安時代の遣水を再現している。石と苔と流れだけの非装飾的な庭である。

   

3-京都市北区 大徳寺塔頭 興臨院 本堂(方丈)前庭園 蓬莱式枯山水 昭和50年(1978)復元

   

4-京都市右京区 妙心寺塔頭 退蔵院 余香園 1963 - 6年(昭和38 - 41年)
大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち,深山の大滝を見るような風情がある。

   

5-京都市東山区 三十三間堂 東庭 池泉庭園 昭和36年(1961)、令和3年(2020)保存工事

   

6-京都市伏見区 城南宮 楽水苑(神苑) 昭和29~35年(1954~60年)の間
源氏物語花の庭、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、城南離宮の庭の5つで構成される。

   

7-堺市堺区 大仙公園日本庭園 築山林泉廻遊式 26,000㎡
スケールが大きく、構成力がすごい。

   

8-葛城市 当麻寺奥院 二河白道の庭 枯山水
白砂と苔庭の融合して美しい。

    


 

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