Monthly Web Magazine July 2022
■蟇股あちこち 27 中山辰夫
今月は園城寺(三井寺滋賀県大津市)と日吉東照宮(滋賀県大津市)です。“三井の晩鐘”で知られます園城寺は1593年頃から豊臣秀頼に再興・移築されました。
日吉東照宮は、日光東照宮のモデルともいわれ、1634年に建立されました。霊廟建築の走りです。いずれも桃山後期から江戸時代に引継がれた装飾華麗な彫刻が見ものです。
1599 園城寺 (おんじょうじ・三井寺) 金堂 他
滋賀県大津市園城寺
園城寺は、大津市の南部、琵琶湖西岸の長良山東麓一帯を寺域とする天台宗門宗の総本山です。
寺伝によると、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友与多王が688年に建立したとされ、7世紀半ば頃には既に寺院等の施設が営まれていたことが、金堂周辺地盤から出土した白鳳期の瓦からも明らかです。
ここで延暦寺との関りを含めて園城寺の歴史に触れておきます。
859年に比叡山での籠上修行を修めた円珍(智証大師)が園城寺の別当に任じられ再興し、866年延暦寺の別院となりました。円珍寂後、円仁・円珍門徒が天台座主の座や戒壇独立をめぐって、山門(延暦寺)と寺門(園城寺)に分裂して激しく対立し、平安時代から室町時代かけて、抗争や兵火で寺は焼失を繰り返した歴史を持っています。しかし、皇室や摂関家、また源氏の手厚い崇敬によって園城寺はその都度復興を遂げ、中世には、三院・五別所からなる大伽藍を構え、さらに、西国三十三観音巡礼の盛行により庶民信仰をも集め、大いに隆盛しました。
1595年、園城寺は豊臣秀吉が下した闕所令により寺門廃絶の危機に直面しました。三尾社、新羅社を除き失われた伽藍は、秀吉の死(1598年)後、その遺志を継いだ北政所を中心とする豊臣家や徳川家康、毛利輝元などの援助で復興が進みました。興(再建又は移築)は以下の通りです。
1598~1600年 唐院、金堂、閼伽井屋、勧学院客殿 金堂・閼伽井屋は北政所の再興
1601~1602年 大門、三重塔(徳川家康) 一切経蔵(毛利元就) 光浄院客殿、鐘楼、護法善神堂、熊野権現堂
現存する主要堂舎はこの時の造営になるものです。現在の金堂も、復興事業により北政所が建立されたものです。
驚異的なスピードで建立された金堂は、設計から施工に至る一貫した合理化、担当した四つの大工集団による工事分担(割普請)の作事体制が注目されています。
四つの大工集団は、寺家大工、京大仏、近江衆、大和衆で、この大工集団による作事区分が決められていたことが残された墨書や棟札からも分かるようです。
近江衆や大和衆は蟇股や手狭みの彫刻、破風をはじめ妻飾りの工事に従事したとされます。
蟇股を主に巡ります
金堂 国宝 建立:1599 桁行七間 梁間七間 一重 入母屋造 向拝三間 檜皮葺 附 厨子一基
正面全景と正側面全景
北政所によって1599年に建立されました。和様を基本とし、内陣は床を張らず土間とするなど、天台宗の伝統的な仏堂の形式を伝えています。
建物は良質な木材を用いた、大規模で高い技能を有する天菊であり、桃山時代を代表する格調高い国宝建築物です。
桁行・梁間とも堂寸法の西方形平面で、正面には向拝を設け、四周に高欄付の縁を廻しています。
内部中央に内陣、その間部に外陣、内陣の両脇に左右脇陣内陣の背面に後陣を配し、全体を五区画に分けています。内陣には厨子を安置しています。
組物
側通り外部の柱上は二手先組物とし、中備は正面五間及び背面中央一間は蟇股、その他は撥束です。
内部の柱上は和様の出組とし、入側の化粧垂木、虹梁もしくは天井桁を受けます。蟇股や手挟には華やかな彫刻が施されています。
仏像に装飾を施すのは、俗界から仏の世界へ入る結界を示す象徴的な意味を持ち、非日常の想像上の動物である獏や獅子、象などの彫刻が用いられています。木鼻は獏です。
向拝三間の向拝の柱頭見返しには雲、迦陵頻伽、菊、蓮花などの極めて精巧な手挟がかざられています。
堂内 「公開時のポスターより転載」
蟇股は身舎と向拝に配されています。正面扉上に五個、向拝に3個、背面中央に1個の恵9個配されています。金堂蟇股の形状は奈良系に属しています。
それぞれ意匠をかえて、キリン、サルに栗、桐に鳳凰、波に兎、竹林七賢人などを主題とする彫刻が掘られています。桃山一流の優れた彫刻とされます。
向拝は手挟み付の連三斗組で、中備に蟇股を納めています。当初材のままです。
西間蟇股表面(と虎)当初材 ・ 裏面(竹・虎))
中央間蟇股表面(唐獅子と牡丹)当初材 ・ 裏面(唐獅子牡丹)
東面蟇股表面(雲龍)当初材 ・ 裏面(雲龍)
身舎の蟇股
正面東より第2間蟇股(酒宴) ・ 第3間蟇股(三日月と雲と兎と波)
正面中央間蟇股(桐と鳳凰) ・ 背面中央間蟇股(椿と山鵲)
正面東より第5間蟇股(栗と猿)当初材 ・ 第六間蟇股(雲と浪と麒麟) 当初材
再建には、寺家大工(当津州)・京大仏大工・近江衆・大和衆の四集団が関与したとされ、大量生産の利かない蟇股や手挟みは近江と奈良の大工が担当したとされます。
蟇股の形状が奈良系に属するからとされています。
金堂は2006年から2009年にわたって修理工事が行われました。
金堂は良質な木材を用いた、大規模で高い技能を駆使した建築であり、桃山時代を代表する格調高い優れた仏堂です。
金堂周辺の諸堂の蟇股を先に案内します。
閼伽井屋と蟇股 国重文 建立:1600 桁行二間 梁間三間 一重 向唐破風造 檜皮葺
正面と両側面上部に繊細な花狭間欄間を入れ、組物は三斗、もとは極彩色でした
蟇股
蟇股内に蟠龍の彫刻を入れてありますが、これが琵琶湖に毎夜で多との伝説もあり、左甚五郎の作ともいわれています。左甚五郎については実在も含め諸説あります。
閼伽井は闕所直後干しあがり再構が始まると再び湧き出したという逸話が記録に残っています。現在も音を立てて湧き出しています。
鐘楼 国重文 建立:1602 桁湯k時二間 梁間一間 一重 切妻像 檜皮葺 板蟇股が配されています
文中のコピー画像は1927年に撮影されたものです。
ここから先は、大門に戻り、境内の諸堂の蟇股を巡ります。
大門(仁王門) 国重文 建立:1452 三間一戸楼門 入母屋蔵 桧皮葺 園城寺の表門
元天台宗の常楽寺(滋賀県湖南市)にあったものを、豊臣秀吉が伏見城に移築、その後、1601年に徳川家康が三井寺に寄進したもので、
全国有数の美しい楼門として知られています。
組物
尾垂木のある三手先、中備に蟇股と蓑束がはいります。 門の左右に高さ約3mの運慶作の仁王像が安置され、浄域への入口を守護しています。
この二軀は1457年に造像されたことが近年に判明しました。製作年代のあきらかな室町時代の仁王像として注目されています。
蟇股 表側
正面上層の蟇股は雲に金剛杵をあしらった珍しいものです。
下層正面の蟇股は、輪郭だけで彫刻は残っていませんが、寺伝では、名工・左甚五郎作の鶏の彫刻が彫ってあり、この鶏が時を告げていたとされます。
蟇股 背面側
上層の蟇股は中央に室町時代の特色を表わす絵画的にデザインされた大輪の牡丹が施されています。下は松
食堂(釈迦堂) 国重文 建立:室町時代 桁行七間 梁間四間 一重 入母屋造 桧皮葺
檜皮の屋根に半繁垂木の質素な住宅風の建物 御所の清涼殿を移築したとも伝わります。向拝は1830年に増築されました。
蟇股
弁天祠の蟇股 再建:1861 当初は弁才天の他に脇侍として多聞天、大黒天も祀られていました。再建:1861年 素晴らしい彫刻が施されています
霊鐘堂 建立:1930 桁行一間 梁間一間 一重裳付 切妻造 桟瓦葺
室町時代の旧い鐘楼の古材を活かして大改築された建物です 堂内には国重文の「弁慶の引摺り鐘」と「弁慶の汁鍋」が安置されています
一切経蔵 国重文 建立:室町時代 桁行一間 梁間一間 一重裳階付 宝形造 桧皮葺
三重塔 国重文 建立:室町前期 三間三重塔婆 穂瓦葺 三重とも高欄付 組物は和様三手先 二重と三重目の窓に珍しい菱格子
もとは吉野の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔で、豊臣秀吉が1594年に伏見城に移しました。それを1601年に徳川家康が三井寺に寄進しました
唐院
開祖・智証大師円珍の御廟を中心とする一郭の総称で、三井流伝法灌頂の道場として重要かつ神聖な場所です。
主な建物として大師堂、唐門、灌頂堂、四脚門などがあります。
唐院大師堂 国重文 建立:1598 桁行三間 梁間二間 一重 組物舟肘木 二軒疎垂木 宝形造 桧皮葺
平面は宝形 内部棹縁天井 現在背面に保存庫を接続して造り智証大師像を安置しています。
唐院灌頂堂 国重文 建立:1598 桁行五間 梁間五間 組物舟肘木 二軒疎垂木 入母屋造 妻木連格子 桧皮葺
慶長年間に大師堂の拝殿として建立されました。 簡素な建築 正面中央軒唐破風付 内部折上小組格天井
錺金具(かざり)と正面蟇股
正面軒の唐破風に桃山時代の特色を表わす豪華な錺金具です。中心と左右の三枚の金物からなり、中心に熨斗目文様を用い、桃山様式の牡丹の花や蕾、葉などを線彫りしています。
四脚門 国重文 建立:1624 切妻造 桧皮葺
長日護摩堂 県指定有文 建立:1666 桁行三間 梁間三間 一重 宝形造 本瓦葺 撮影1989年
所願成就の祈祷所 後水尾天皇の寄進
勧学院客殿 光上院客殿と共に別途まとめて紹介しいます
微妙寺本堂 再建:1776 桁行三間 梁間二間 一重 入母屋造 向背一間 桟瓦葺 994年に開基されました。 園城寺五別所の一つ 1979年に現在地に移築
別所とは、平安期以降に広く衆生を救済するために三井寺境内の周辺に設けられた別院で五か所あって、微妙寺はその一別所。
他に水観寺、近松寺、尾蔵寺、常在寺があります。 蟇股が内外に配置されています。 外陣の三方に建具が無く開放で、そこまで土足で参拝出来る札所の本堂の形式を伝えています。
蟇股と木鼻
堂内の蟇股
天台大師像祠 四方に蟇股が設けられています。
毘沙門堂 国重文 建立:1616 正面一間側面二間 組物平三斗 中備蟇股 二間繁垂木 宝形造 桧皮葺 小堂ながらも極彩色の美しい堂
もと 尾蔵寺にあり1956年に現在地に移築されました。 内外彩色華美な小堂です。
蟇股は平三斗組の中備に飾られ、内部の巴文と共に尾が比較的長い近世初頭の形地を示しています。
十八神社
不動堂
観音堂へ向かう途中にあります。彫刻が豊かです。
観音堂 県指定有文 再建:1689 礼堂:正面九間 側面五間 二重、正堂:正面三間 側面二間 一重 、いずれも入母屋造 桧皮葺
1027年に創建された正面に三間向拝をつけた本瓦葺の大建築です。礼堂・合の間・正堂からなり、内部には多くの絵馬が奉納されています。
礼堂を合いの間でつなぐ密教系観音堂の旧い形式を伝えています。内陣は金襴巻の施された柱など元禄期の華やかな意匠を魅せる建築です。
西国三十三箇所観音霊場の第十四番礼所として、篤く信仰されています。本尊は如意輪観音坐像(国重文)。
蟇股
百体堂 建立:1753 百体の観音像を安置しています。江戸時代中期以降、庶民の間に広まった観音巡礼信仰の高まりを示す建物とされます。
観月舞台 建立:1849 長良山の斜面に沿って足代柱を立てて櫨に組み立てた懸造。檜皮葺の屋根が柔らかい曲線を描く優美な建物です。
眼下に琵琶湖が広がり、観月の名所として多くの文人墨客が訪れました。
鐘楼 再建:1814 屋根は入母屋造 桧皮葺 二階だけに縁をつける楼造、一階は袴腰 総ケヤキ造 建立は1782年
組物は三手先で、尾垂木がないのは鎌倉時代異国の伝統。全体に均整がとれたスマートな美しさです。蟇股は全部見られません。
蟇股
光浄院と観学院と新羅善神堂 (国宝) 非公開 寝殿造から書院造への門気に位置した建物 桃山時代の粋を集めた代表作とされます。
三井寺の境内には多数の子院が点在しますが、光浄院と観学院とは、なかでも別格に格式が高いとされています子院です。
現在の両院の客殿は豊臣秀吉が破却したのち、「慶長の再建」によるものです。
両院は1年差で建てられたほぼ似た建物、何れも国宝に指定されています。通常は非公開で、事前申請による特別拝観となっています。
両客殿は、日本の住宅建築の源泉となった「書院造」の代表的遺構として知られています。
書院造は平安時代の寝殿造が変化発展して室町時代に完成する住宅様式です。
当客殿は寝殿造の流れを汲む「主殿造」とよばれる初期書院造の伝統をつたえています。
光浄院
アプローチ 白壁の塀と石垣に囲まれています。中門のある遺構で、1460年に建立され、荒廃したのを1601年に復興したとされます。
庫裏周辺
光浄院客殿 国宝 建立:1601 桁行七間 梁間六間 一重 入母屋造 妻入 正面軒唐破風付 桧皮葺
入母屋造と切妻、唐破風の違った屋根の稜線が美しい調和を描いています。障壁画も素晴らしいです。庭園(国名所)も桃山時代のものです。
蟇股
客殿堵障壁画 一之間床貼付絵(国重文)狩野山楽筆 神本金地著色
勧学院 国宝 再建:1660 桁行七間 梁間七間 一重 入母屋造 妻入 正面軒唐破風付 檜皮葺 1312年に建立されました。破却後毛利輝元が再建しました。
唐院の南側に位置します。 学問所です。勧学院という名称は東大寺、興福寺、金剛峰寺その他諸大寺に必ず設けられ、その歴史は、古く平安時代九世紀に遡ります。
結構高い石垣が取囲み、院内の様子は屋根しか見えません。切妻屋根の中門がある桃山時代の優雅な寝殿造風の建物です。
アプローチ
軒唐破風の玄関
客殿
中世の武家住宅の主殿造の形式を留めています。庭園も勉学の疲れを癒してくれる学問所に相応しい名園です。
一の間障壁画 四季花卉図(国重文) 狩野光信筆 ・ 二之間伏間絵 花鳥図(国重文)紙本著色
新羅善神堂は園城寺の北院の鎮守社として、南院の鎮守社とともに建立された新羅社が前進で、明治の神仏分離で新羅禅神堂として移築されました。
1345年に足利尊氏が寄進したとされる建物です。園城寺の塔頭の中では最古のものです。
桧皮葺の流れるように軽快な屋根のカーブが美しく、
また、欄間に緻密な透彫を施すほかは、目立った装飾を取り入れずに、 簡素さの中に整った上品さを表しています。
正面にある欄間の彫刻の鳳凰と牡丹唐草の模様は秀逸とされ、国宝指定の決め手になったとされます。
日吉大社末社東照宮
1958年から1961年まで修理工事が行われました
大津市坂本町四丁目
東照宮は,1623年天海大僧正によって造営され、その後寛永の再建に着手、1634年夏には勅使を迎えて盛大な正遷宮が斎行されています。
この年秋には日光東照宮が再建に着手され、1636年春の例祭を前に正遷宮が斎行されました。ちなみに延暦寺根本中堂の再建は1642年でした。
この両社とも天海大僧正と深い由縁があります。当地では、当社の東照宮は日光東照宮の雛形として再建されたと古くから言い伝えられています。
全山挙げて復興に努めていた延暦寺根本中堂の再建は1642年で、山上諸堂に先駆けて山麓に東照宮の造営が行われたことに注目されています。
日吉東照宮をはじめ江戸の文化構築に大きな影響を与えた天海の廟所を過ぎると石段になります。
極彩色の美を極めた当社の東照宮の特色は、何を置いても風光明媚な自然を背景に建てられていることです。
緑滴る日枝の山々を背にして東面、琵琶湖を眼下におさめ、近江冨士として有名な三上山を正面に、日光輝く湖面は静寂を呼んでいます。素晴らしい景色が展開されています。
日吉大社の社殿群の南、権現川を渡った丘陵部に東面して建っています。
本殿と拝殿を石の間(相の間)でつなぐ「工」の字の平面を取る権現造の社殿。正面入り口に唐門と菱格子の透塀があります。
唐門 国重文 四脚平唐門 桧皮葺 透塀(国重文) 一周延長五十四間 桧皮葺 天井は格子状になっており、花のような意匠が施されています。「三つ葉葵」や「六葉の猪の目」の御紋が目立ちます。
妻部の板蟇股にも装飾が施されています。
蟇股
頭貫上の「つがいの鶴」 とその裏面 迫力を感じます。
鶴の雄と雌
中央は孔雀の蟇股と裏面
社殿図
屋根
真正面の軒唐破風にある鬼瓦の鬼板には黄金色の「三つ葉葵」が輝き、金箔や装飾金具が施されています。
各屋根の妻飾りが見えます。拝殿正面、南側、北側と本殿南側・北側に計五個の妻飾があります。千鳥破風の装飾が見事です。
拝殿 正面・側面とも平三斗を置き、虹梁大瓶束組 大瓶束上大斗、実肘木 花肘木
二重虹梁蟇股が配されています。二重虹梁にも極彩色に彩られた斗栱が配されています。
懸魚中央にある金細工は蓮華の花? 懸魚の奥には天台宗の「天台宗菊輪宝」が見えます。天海上人の威光が感じられます。
正面
南側
北側
懸魚中央にある金細工は蓮華の花? 懸魚の奥には天台宗の「天台宗菊輪宝」が見えます。天海上人の威光が感じられます。
蟇股は大きく羽を広げた蔓の様です。拝殿の鵜と本殿の亀で縁起を担いだ様です。
本殿 妻飾りは、虹梁大瓶束組 大瓶束上に大斗を置き、棟木下実肘木を受け、花肘木、笈形付 蟇股が配された二重虹梁にも極彩色に彩られた斗栱が配されています。
南側
二つの本殿は殆ど同じで、蟇股が違います。頭をもたげ小枝に食らいつく玄武(亀)と頭を下げた玄武(亀)です。
社殿全景
拝殿の正面部分です。
正面には唐破風・千鳥破風が付き、内外部とも総漆塗の極彩色で彩られています。
日光東照宮の原形となったと伝えられるだけあって総黒塗りが極彩色の彫刻の華麗さを際立てます。
軒唐破風の桁上には極彩色の阿吽の虎が。瑞雲立ち込める描写は、守護神を虎とし、神格化した姿を現します。家康は寅年生まれで虎の彫刻が多いです。
蟇股は「清龍」です。
三間の向拝 中備蟇股と手狭、木鼻は極彩色です
蟇股(表面)
正面中央の蟇股はとぐろを巻いて身構える「菁龍」です。その下の頭貫にも龍の文様がみられます。龍の蟇股の右隣は唐獅子です。左右阿吽で一対です。
見返り
手挟
手挟の彫刻は見事です。それぞれ異なった鸞(らん)をあしらい、牡丹と組み合わせています。
木鼻
頭貫の木鼻は唐獅子です。左右「阿吽」で一対です。
拝殿正面身舎の蟇股
拝殿正面に配されています五個の蟇股。すべて鳳凰があしらわれています。中央部には羽をひろげる優雅な姿の蟇股です。
尾羽を広げ斜めを見上げる鳳凰、周囲は牡丹です
桐の花の中を飛ぶ姿です。松と椿、禽鳥があしらわれています
中央の蟇股
翼をひろげ滑降する姿です。松と椿、禽鳥があしらわれています
尾羽を広げ、桐の枝にとまる様子です。牡丹と禽鳥があしらわれています
次は、拝殿・石の間・本殿の内部は後に回して、社殿の外部から蟇股を見て行きます。
拝殿に向かって左側(南)から見て廻ります
社殿側面
社殿全体では、桁行五間に梁間六間の大きさです。久脳山東照宮と同じ大きさです。日光東照宮は桁行九間に梁間十間と規模が大きいです。
拝殿左側面1 瑞雲と戯れるキリンと唐獅子、波間を飛翔する飛龍です。
拝殿左側面2
石の間左側面 波の上に玄武(亀)の姿
本殿と拝殿を「石の間」という一段低い空間でつなぐ「権現造」様式。最古は北野天満宮、豊国廟~日吉東照宮~日光東照宮へと伝承された霊廟建築の代名詞です。
本殿左側面 嘴の長い禽鳥類、孔雀、振り帰る鶴、振り返る雉?
本殿背面 雉とシャクヤク 飛翔する姿、野ウサギと紅葉、山鵲(かささぎ)とぼたん、鷹に松
施された彫刻は「葡萄」です
本殿右側面
石の間右側面
出入口は観音開きの扉と引き戸の障子戸の二重構造、扉に施された透かし細工、唐門と同じデザインのようです。
拝殿右側面1
蟇股は猿と栗の組合せ。片手を地面につけて、くつろぐ感じで何かをほおばっています。
右側面2 虎に竹、紅葉の中を疾走する鹿
社殿右側面
東照宮内部を巡ります。
外部から見える本殿・拝殿・唐門・透塀は、ともに総漆塗極彩色が施してあり、柱は金襴色、内法長押から丸桁まで文様彩色、内外部の蟇股には種々の鳥獣・花卉を彫って着色し、板壁にも彩色が施されていました。
拝殿について、外部から見える三間の向拝や正面の蟇股や木鼻、手挟の彫刻などについては既に紹介しました。装飾の多様性に目を見張る連続でした。
正面には五個の鳳凰の蟇股が並び、その中央を飾る蟇股は、羽を広げ優雅に彫られています。
周囲の彫刻は、松に山鵲(さんじゃく)を配しています。蟇股の上部には、熨斗(のし)といわれる装飾が用いられています。
拝殿 国重文 建立:1634 桁行五間 梁間二間 向拝三間付 一重 入母屋造 銅瓦葺 背面三間は石の間に接続
昇段参拝が許されています。赤い絨毯が敷かれた階段から昇段します。
内陣の特徴は一面に黒漆が塗られ、柱や壁面には金箔が、天井は豪華な折小組格天井とし、重厚かつ神聖な空間としています。
蟇股は勿論熨斗の装飾も見事です
天井
折上小組格天井で、黒漆塗です
内陣
左右壁 舞楽女図と蟇股 「龍笛」の奏者も描かれています。
拝殿内陣の周囲は蟇股で囲まれています
外陣側に並ぶ蟇股
石の間側に並ぶ蟇股
柱金襴巻
石の間 国重文 桁行三間 梁間一間 一重 両下造 銅版葺 後方本殿、前方拝殿に接続
出入口桟唐戸両開き 欄間花菱格子 内部は畳敷き 折上げ小組天井 柱粽金襴巻き 頭貫より上方丸桁まで極彩色
拝殿と本殿の間にあり、数段低く造られています。
本殿 国重文 建立:1634年 桁行五間 梁間三間 一重 入母屋造 銅版葺 正面千鳥破風付 軒唐破風付 正面は石の間に接続
黒漆に鈍く光る本殿神棚の金箔が幽玄の世界を放ちます。霊廟建築といった性格上外観は派手でも、内陣は荘厳な気配を漂わせています。
三つの黄金色の扉の奥に夫々の祭神が祀られています。
正面蟇股
石の間から本殿を仰ぎ見ます。
中央家康の神棚と対峙しているのは虎の蟇股です。秀吉は麒麟。日吉大神は霊獣の獏です。
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