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Monthly Web Magazine July 2022


■  失われた建造物 =重文跡を訪ねて= 西宮神社本殿  酒井英樹

明治30年(1897)に「古社寺保存法」に基づいて特別保存建造物の指定から125年・・5578棟(令和4年7月現在)の建造物が重要文化財(古社寺保存法での特別保存建造物、国宝保存法での国宝を含む)に指定された。
 しかしながらこの内、第二次世界大戦末期の戦災による焼失などにより滅失で指定解除された建造物は242棟となっている。

 重要文化財指定解除後、跡地に再建したものもあれば更地のものも存在している。
 そこで、かつて重要文化財建造物のあった場所を訪ね、その現状をかつての雄姿(古写真)と共に紹介していきます。

 2回目の今回は兵庫県西宮市に鎮座する西宮神社。
 全国約3500社ともいわれる戎神社の総本社で、コロナ渦以前の毎年正月に執り行われた「福男選び」でも有名な神社。

   西宮神社

 
 西宮神社の創建は明らかではないが、室町時代後期の天文3年(1534)に兵火で焼失したことが記録に残っている。
 その後、豊臣秀頼によって慶長9~14年(1604-1609)現在地よりにかけて再建された。
 本殿はその後再び焼失し、寛文3年(1663)に江戸幕府4代将軍徳川家綱の寄進で再建された。

 この本殿は三連春日造という珍しい形式。
 春日造の変形形式として貴重なことから大正15年(1926)4月9日に豊臣秀頼の時代に再建された表大門とともに『古社寺保存法』における特別保護建造物(現法の文化財保護法における重要文化財に相当)に指定された。
 しかし、昭和20年(1945)8月6日、西宮空襲によって全焼した。
 同時に指定された表大門と昭和13年に指定された大練塀3棟は焼失を免れて現存している。

   西宮神社表大門(現存)

 

   西宮神社大練塀(現存) 3棟
  
 
 焼失した本殿は三連春日造で3棟の1間社春日造の社を繋げ合わせた形式となる。桁行が正面5間(柱の間が5つある)となっており中央と両端の3間は神殿(向かって右から第一殿~第三殿)で、神殿と神殿の間を1間で繋いだ形となる。
 そのため屋根は3つの切妻造妻入を繋げ、各屋根を平方向に棟を通し前後に流れる屋根の造るという複雑で一連の屋根を持っていた。

   焼失前の本殿(『戦災等による焼失文化財 文化庁』より)

  
 跡地には、昭和36年(1961)に再建された本殿が立つ。
規模及び形式は焼失前の本殿をほぼ踏襲している。
 しかし、維持を容易にする為か屋根は焼失した本殿の檜皮葺から銅板葺に変更されている。
 また古写真と見比べると正面切妻の鬼部分(一般的に鬼瓦を載せる部分)や矢切の意匠が若干異なるように思える。

    再建された本殿


     鬼部分

     矢切

 
     庇部分の蟇股彫刻
      古写真では彫刻が施されていたかは判断できないが、再建された本殿の蟇股には彫刻が施されている。

   
    昭和36年に本殿と共に再建された拝殿

   
 西宮神社本殿は元の位置に再建され、形式や規模はほぼ踏襲し焼失した元の本殿を彷彿させることができる。
 しかし、覆水盆に返らず・・同日投下された原子力爆弾の爆風で倒壊した広島城天守と同様に、あと10日終戦を早くしておけば・・と残念で仕方がない。


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