Monthly Web Magazine July 2022
■「無花果」 柚原君子
蝉取りに使った網の柄の先に針金を二股にして短く差し、それで熟した実の生り口をツンと突くと、網の中でボトリと音がして柄がしなった。その網を父が私のほうに向けて差し出すので、私はその中にある柔らかな無花果のかたまりを籠に移した。こげ茶色に薄紫の線が入った頭を少しはじけさせて、無花果はいたずら坊主のように籠の中に並んでいった。
5つ6つ採ると父と私は縁側に座ってそれを食べた。縁側からまだ地面に着かない私の小さな足と、畑仕事から帰ったばかりの土まるけの筋肉質な父の足が並んだ。
「口を大きくあけて食べんと、汁でかぶれるぞ」と父の張りのある声。澄んだ大気の匂い。断片的であるだけに父との鮮明な想い出。
先日、スーパーで置き引きにあった。初めての経験だった。私が選んで買った品々を家に持ち帰って夕食にする人は、どんな人なんだろう。その人には子どももいて、子どもも、お母さん美味しいねと言って食べるのだろうか……。なんとも嫌な気分になりながら外に出ると、スーパーの向こう側で、おばさん軍団が7,8個の買い物袋を地面に置いて笑いあっている姿が目に入った。何気なしに近寄ってみると、私の買った品々とまったく同じ内容の袋があった。偶然か。しかし私なりの詰め込み方までも偶然か。そんなことはありえない。
私はスーパーに戻り店員を呼んで、置き引きにあった旨を告げた。私は表にいるおばさん軍団を指さした。店員は外の方と私を交互に見ながら「申し訳ないけれど、最近置き引きが多いです。現行犯として押さえなければ、自分のだと主張されて袋を閉じられてしまったり、レシートは捨てました、と言われれば、その場でそれ以上は無理なんです」と言った。
おばさん軍団が移動した。外に出てみるとスーパーの買い物袋が一つ取り残されていた。袋の中で、私の買った無花果が乱暴に扱われて傾いてつぶれていた。
想い出だってお金で買う都会。どこかざらざらした都会は心底好きになれない。無花果の木のあった田舎に帰ってみたいと、時々思うが父はもういない。田舎に帰ってみたいのではなく子どものころに帰ってみたいのだと、無花果の季節にいつも思う。
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中